連日の震災や原発の報道に、だんだんと慣れてきてしまっている。
初めの頃の驚きや恐怖による関心の強さが、薄らいできている。
当事者ではないことにより、対岸の火事のような気持ちになってきている。
仕方がないことなのだろうか。
そうでなければ、やっていけないのも事実だ。
慣れることは、新鮮さがなくなることだ。
新鮮な気持ちを忘れることだ。
そして、そのことと引き換えに、慣れることは物事がスムーズに流れるようになることだ。
震災、原発、停電などの報道に慣れてきている。
そんな時は、物事が元のように流れようとしている時なのだろう。
そうでなければ、いつまでたっても、止まったままになってしまう。
でも、慣れることについては、今一度、考えてみる必要がある。