人間は物事を繰り返して行うと慣れてくる。
慣れるということは、能率が高くなり、物事を速く行うことができるようになることでもある。
仕事効率が高くなるわけだ。
そして、慣れてくると手抜きもできるようになる。
手抜きというと悪いことのように考えられるが、いらないところでは無駄な力を使わないこと、とも言える。
必要なところにしっかりと力をそそぐようにできるわけだ。
つまり、要点を押さえた行動ができることになる。
慣れることは、行動がスムーズになるということでもある。
そのように考えてくると、慣れることはよいことと言える。
だが、そうとは言えないこともある。
慣れることは、マンネリになることでもある。
マンネリは意識の停滞を呼ぶ。
意識が興奮しないので、休止してしまう。
ひどい時は倦怠感を感じる。
このように考えると、慣れると行動は速くなっていくが、意識は停滞してしまうことになる。
つまり、慣れることは外面は速くなって見えるが、内面では停滞している、または後進している相反した面を持った行動ということになる。
内面と外面のどちらに主体を置くかによって、慣れることの良し悪しが決定される。
ただ、通常、慣れたなら、その状態をなくして、あらたに、また別のシステムで始めるようにする傾向がある。
つまり、慣れをなくすようにするわけだ。
内面すなわち意識に停滞、倦怠感を持たせないようにすることを重視していることになる。
このことは、気持ちがすべての行動の源になるということを意味している。
やる気を起こさせることが大切ということになる。
慣れることは無意識の行動になり、意識の行動でなくなる。