車の中や部屋で流れてくる音楽は、クラシックである。
自分から聴く音楽は、今はクラシックとなる。
考えてみると不思議だ。
学生の頃や社会人になった頃は、クラシックを聴く生活をしていない。
クラシックを聴く生活は、何ともエレガントで高尚な感じがする。
だから、クラシックとは無縁だった。
でも、あこがれだった。
夢は、朝、クラシックを聴きながら、コーヒーを飲み、優雅な朝を味わうことだった。
そんな一日の始まりなら、素敵だと思った。
だけど、クラシックのよさは分からないし、聴く気分にも、なれなかった。
クラシックは、大人が聴く音楽だった。
そして、自分はすべての面で子どもだった。
いつかは、クラシックを聴くような気持ちが出るのだろうか。
永遠にそんな気は起こらないかもしれない、と思っていた。
それなのに、今は好んで、クラシックを聴いている。
年を取ると、嗜好は変わるのだろう。
不思議なことだ。
クラシックは、よく聴くようになっているけれど、クラシックのことは全然分からない。
本当は曲の背景を知れば、より曲の理解が深まり、曲をもっと楽しめるはずだ。
けれど、ただ曲を聴いて、いいなあと思っている程度だ。
曲の背景を知ろうとする気が、残念ながらあまり起こらない。
いつかは、きっと知りたくなるだろう。
クラシックを聴くようになったのと同じように。
車で走っている時など、前に広がる風景と、クラシックの曲が、やけにマッチする時がある。
そんな時は、思わず、クラシックはいいなあ、と叫びたくなる。
クラシックなんて聴く気が起こらないと思っていた頃が、遠く後ろに流されていく。
でも、クラシックに対する気持ちは変わらないのだろう。
今でも近づきがたい気持ちがあるようだ。