ラジオからNSPの「夕暮れ時はさびしそう」が流れてきて、思い出した。
確か、NSPがしたと思うのだけれど、歌と歌の間にされる話で、とても興味深く、心に残ったものがある。
池にいる鯉を捕まえて、水の入ったタライに入れる。
その鯉をタライから出して、外に置く。
鯉が、もがいて苦しそうになったら、またタライの中にもどしてやる。
それを何回もくり返していくと、だんだんと鯉が水の中にいる時間と外にいる時間の比率が変わってくる。
水の中よりも外にいる時間の方が長くなってくる。
そうなっても、鯉をタライと外に置くことをくり返していく。
すると、最後には、鯉は外にずっといることができるようになる。
そうなったら、鯉は人間と同じように、陸上生活ができるようになる。
そこで、その鯉を亀を飼うのと同じように、水槽に砂利を敷いて、飼うことにする。
時々、首輪をして公園などを散歩してあげる。
鯉は散歩が気に入って、ピョンピョン跳ねたりする。
鯉との散歩が日課になって、毎日公園を散歩する。
ある時、散歩の途中で首輪をはずして、鯉を自由にしてあげる。
鯉は喜んで、ピョンピョン跳ねながら、公園を跳ね回る。
うれしそうにピョンピョン跳ねて、鯉は誤って、公園の池の中に落ちてしまう。
すると、鯉は泳げなくて、おぼれてしまう。
こんな話が、何故、いつまでも忘れないで覚えているのか。
実は、現実に可能なことで、できたらかわいいペットになると思っていたからだ。
そして、実際にこの話は可能ではないのか、と思えるような光景にも接した。
ある時、公園の池の鯉に餌をあげたことがある。
すると、鯉がウジョウジョ集まってきて、餌を求めて、鯉の背中にまた鯉がというような状態になった。
その中で、がめつい鯉が1匹、仲間をかき分け、蹴落とし、先頭に餌を求めてやって来た。
遂には、餌を求めて、池から外に出て来た。
その姿には、感動よりも、恐ろしさを覚えた。
生きることへの貪欲さを感じた。
こんな奴が進化に関係するんだと思った。
生命力の強さが、未来の生物の姿を変えていく。
結局は、生きることへの貪欲さが、未来への種子になる。
未来は、生命力の強さの子孫の集まりで、できている。
未来を思うと、餌を求めて池から這い出してきた鯉の姿を思い出す。