こんにちは。
鹿児島の女性行政書士 合原です。
昨日はS先生にお誘いいただいて、
TO THE HERBSでランチをしました≧(´▽`)≦
女性行政書士同士、女性ならではのお話ができて
楽しいひとときを過ごせました♪出会いに感謝です。
私も女子力UPせねば(笑)
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人のたくましさ。
それは色々なところで感じられます。
(写真は2011年8月。in屋久島)
父のことは以前も書いた気がしますが、再度
書いてみます。
2002年に、センター試験を受験する弟を送った後
車の中で倒れる。
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1時間くらい経って通行人に発見され、救急車で
搬送。
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母と私、病院に駆けつける。
搬送された病院では対処できないからと
市立病院へ転送。
↓
「ピクリとも動かないので、手術しても…。」
と言われるも、手の指が微かに動いたので
ギリギリのラインで手術することに。
↓
手術後、しばらくICUに。
(水頭症にもなりました。)
そこから半年間、意識は全くありませんでした。
少しでも身体にマヒが残らないように
毎日マッサージをしたり、
少しでも早く意識が戻るように父の職場の方が
でているラジオを流したり、話しかけたり。
私は「もっと親孝行していれば。」
と後悔したり、神頼みしたり…。
現実を直視したくなくて、仕事に没頭したり。
23歳の私は弱かった( p_q)
母は仕事を辞めて、つきっきりで父のお世話。
周りの方に、栄養剤をもらったり、同じ病気から
奇跡的に回復した人の本をもらったりと
いろいろな方に支えられました。
父は意識が戻ってからも、かなりの長期間、
人を呼ぶときは全員「千尋」。
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私、どれだけ心配をかけていたんだろう…。
誰を見ても私の名前を呼ぶ父に、
心がいたみました。
父が仕事復帰することは叶いませんでした。
しかし、
ひらがなの書き方、数字の書き方などから
練習していって、今では新聞も読めます。
計算もできます。
はじめは左半身にマヒがあり、歩くのも大変
でしたが、今は一人で水族館に行ったり、
動物園に行ったりとお出かけを楽しんでいます。
金銭的な話をすると、
父は保険をかけていたので、
住宅ローンは保険で何とかなりました。
高額な医療費も種々の制度を利用して、
何とかなりました。
弟は大学の学費は全額免除してもらえましたし、
大学入学前からバイトを始めて弟は自分で何とか
していました。
本当に備えあれば憂いなし。でした。
人生、何があるかはわかりません。
何があるかわからないからこそ、面白い。
希望をしっかりもって、前向きに。
人は支え、支えられて生きていく。
私は私で、今できることを精一杯頑張ろう!
と思うのでした~。
…自分の写真はさらさないのに、
父の写真は載せちゃいました(;^_^A
「おでこの広さ」はそっくりです(笑)
さ、今日も元気にLet's go♪