by  ヴィクトル・ユーゴー

 

 

最初からすべてを手にして

何不自由のない生活ができていたとしても

それはきっとおもしろいものではないでしょう。

 

ポケットの中に何も入っていないからこそ、

何か1つ手に入れたときの喜びがあり、

それがどんどん大きくなっていくことに達成感を感じる。

 

最初からすべてを手にしていたら

そういう人生の喜びは手に入らない。

 

今何ももっていないというのは、

それだけ楽しいことがいっぱい待っているということ。

 

それはある意味とても幸せな事であり、

たくさんの喜びをこれから感じていける。

 

冒険に出るかは自分次第。

 

最初の一歩を踏み出すことができれば

あとは流れに身を任せていくだけ。

 

これからいろんな困難が待ち受けているかもしれない。

しかし、それは冒険の醍醐味でもある。

 

困難にでくわさない主人公のストーリーなど

誰もみたくない。

 

主人公がラスボスと戦うまでに

何の不自由も困難もなく

あっといっている間に冒険を終えてしまうような話を

誰が見るだろうか。

 

困難があるからこそ冒険はおもしろくなっていく。

そこに挑戦するからこそ主人公を応援したくなる。

 

人生の主人公はいつも自分だ。

それを応援してあげることができるのも自分だ。

 

挑戦すればするほど、もっと応援したくなるだろう。

 

さぁ、人生の冒険にでよう

 

 

「昨日、僕は失敗をしたかもしれません。

 

けれど、昨日の僕も僕なのです。

 

過去の失敗が集まって今日の僕がいます。

 

明日の僕は今よりも少しよくなっているかもしれない。それもまた僕自身なのです。」

 

by RM(BTS)

 

 

 自分のいいところだけでなく、

よくないところ、それも自分の一部。

 

失敗も含めて自分を受け入れてあげるということ。

 

受け入れることができなければ、

自分というものをしっかりと見ることができない。

 

例えば、目の前に気持ち悪いものや嫌なものが

あったとして、それをじっくりとは観ない。

すぐ目をそらして、できるだけ不快なものを

視界に入れないようにするのが自然な反応。

 

それが、物体だけでなく情報空間においても作用する。

 

自分が嫌だとおもっているもの、苦手だと思っているものは

たとえ見えているつもりでも、見えていないことがある。

 

僕はオンラインで塾講師として生徒に教える中でおもしろい

ことに気が付いた。苦手な科目を教えているとき、たとえ答えが

問題文の中に書いてあることを質問しても答えられない時がある。

 

難しいことではなく、ほんの2,3行の文章題でさえそうだ。

 

もう1度読んでみてといってもわからない生徒もいた。

 

自分は苦手だという意識が

メンタルブロックとなって見えている物でさえ見えていないのだ。

 

自分の変えたい部分であったり、コンプレックスに思っているところ、

それを避けようとすれば避けようとするほど実際の形をとらえることが

できず、改善につながらない。

 

もしそれをしっかりと見つめることができたら、嫌だった部分の中にも

良い部分を見つけられるかもしれないし、場合によっては改善案が

見つかるかもしれない。

 

それを見つけるにはまずそれ自体がしっかりと見えていることが大切。

見えるようになるには受け入れることが最初の一歩だ。

 

受け入れてから、理解する。

 

理解してからはじめて、次へ進める。

 

今の自分がどのような状況にあれ、

上手くいった自分も失敗した自分も

全てを受け入れ、前に進んでほしい。

 

過去のすべては自分の人生の大切な宝物だから。

 

 

 

想像力は、知識よりも大切だ。

 

知識には限界がある。

 

想像力は、世界を包み込む。

 

by アインシュタイン

 

 

 想像力を発揮できれば、

人はどんな苦しみでも乗り越えられる。

 

人が絶望に陥るときは

辛い状況にいる時ではなく、

希望をなくした時だ。

 

希望をなくすことで

今の現状と関係なく

命すらたってしまおうと考える。

 

今どんなにつらい状況であっても、

世界を見渡せば、

今日食べるものすら満足にない人や

奴隷として想像を絶するような生活を

している人がいる。

 

自分と同等、もしくはもっとつらい思いを

している人はいくらでもいるのだ。

 

今ある状況に関わらず、

この状況を改善できない。

もう何も手の打ちようがない。

この苦しみは一生続くんだと

思った時に人は絶望する。

 

しかし、ここで想像力を少しだけ

発揮させてみてはどうか。

 

今の状況がどんなものであれ、

5年後、10年後、同じことになっているだろうか?

その時の自分は今と同じだろか?

心の中、体の外の状況は何か変わっていないだろうか?

変えるために何かできることはないだろうか?

 

1つでも生き抜く理由を見つけることができれば、

もう悲しむ必要はない。

 

その時まで今を生きることだ。

 

やれること、できることはきっとある。

少しだけいつもより考えてみてほしい。

 

問題の大小にかかわらず、

今できることがきっとある。

 

 

 

ある程度長く生きていれば、人生で起こることの大半は

自分のコントロール外にあるということがわかってくる。

 

しかし、どう向き合うかは自分のコントロール内なのよ。

 

by ヒラリー・クリントン

 

 

 自分とどう向き合うか、

現実とどう向き合うか、

仕事とどう向き合うか、

パートナーとどう向き合うか、

 

これはすべて自分のコントロールの範囲内。

 

自分の外で起きている現実は結果であり、

結果は自分のコントロールの範囲外かもしれない。

 

しかし、その結果を出すまでに

自分が何をするのか、どういう態度で接するのかは

完全に自分のコントロール内なのだ。

 

その過程で自分がどういう姿勢でいたかが大切。

どんな行動をとり、どんな考えを持って取り組んだか。

 

それがたとえ同じ結果に繋がったとしても、

人生の質や深みは大きく変わってくる。

 

今の時期は受験の時期だ。

 

合格発表を受け、受かった人もいれば落ちた人もいるだろう。

 

ここで大切のは、合否よりも受験勉強に対して

自分がどう向き合ったかだ。

 

受験勉強を通して、自分が成長できたのであれば

それは大きく意味がったものに違いない。

 

たとえ、合格をもらっていたとしても、そこに至るまで

特別なことを何もせず、なんとなく合格したのであれば

そこに大きな意味はないだろう。

自分のいける実力の範囲内の学校を受けて

その通りに合格したまでだ。

 

落ちてしまった人でも、受験勉強を通じて

自分に合った勉強方法を見つけることができたり、

自分のやりたいこと、かなえたいことが見つかった、

それに向かって全力で取り組んだ経験ができたのなら

それは一生の宝物だ。

 

結果は結果でしかない。

 

どう向き合ったかが大切なのだ。

 

 

 

Nothing in life is to be feared. It is only to be understood.

 

by キュリー夫人

 

 人は未知のものに恐怖を感じる。

キングコングの西野さんがよく話していることが、

クラウドファンディングが詐欺だと言われることがある。

 

クラドファンディングは簡単に言えば寄付なので、

自分から寄付をしようとしなければ関わる必要のないものだし

寄付を詐欺と言うのであれば、世の中にある様々な募金や慈善団体も

詐欺になるだろう。

 

この世の中に認められている募金活動や慈善団体と

クラウドファンディングの違いは、認知度だろう。

 

その人にとってクラウドファンディングがわからないものと

言うだけで詐欺のラベルを張られる。

 

こんな風に、人は知らないものに対して恐怖や嫌悪感を感じる。

しかし、それはとても愚かなことであり、大切な事は

わからないことを理解すること。

 

世の中に関して理解を深めることができれば

ほとんどの悩みは消えるだろうし、恐怖はなくなる。

 

 これは人に対しても同じことだ。

自分たちが街中で見知らぬ人と会った時に警戒するのは、

単純にその人のことを知らないからだ。

 

その人がいい人かもしれないし、悪い人かもしれない。

 

それがわからないから最初は距離を置こうとする。

 

これがもし、小学校からの知り合いなら話は別だろう。

お互いのことを知っているから気兼ねなく話をすることができる。

 

理解することができれば

人生に怖い事はない。

 

 今何か怖いことがあるのであれば、

それに関してよく調べてみることだ。

 

理解を深めることで、どのように対処すればよいか

どのような行動をとればいいか、様々なことが見えてくる。

 

知らないことを知るということ。

これは学習の基本であり、人生をより深いものにしてくれる。

 

好奇心が人生のカギ。

 

 

 

 

人生退屈が故にどんどん悪い方向に向かっていると

感じたことはないでしょうか?

 

なまけて何もせず、新しいことには手を出さず、

同じような日々。

 

最初は何もきついことをしなくていいやと思っていても

段々退屈すぎて自分が嫌になってくる。

 

ギャンブルやポルノやゲームなどの簡単に手を出せるもので

気分を変えようとしてもうまくいかず。

 

SNSを見ては周りと比べて落ち込む日々。

 

そんな日から脱するには、

今自分がもっている基準をかえること。

 

変わらないこと、安定することを基準としていた日々から

楽しそうなこと、おもしろそうなことに足を踏み入れてみる。

 

「今日1日より楽しくなるには、どうしたらいいのか?」

 

を考えて、思ったことをつべこべいわずにやってみる。

 

その繰り返しが退屈な日々をなくしていく。

 

暇は人にとって最悪だ。

暇だから人はSNSで攻撃相手を見つけては誹謗中傷する。

暇だから見ず知らずの他人にいたずらしたり、被害を与えるようなことを

やってしまう。

 

人生をまっとうに生きている人に暇なんてない。

やることは常にいくらでもあるし、それを見ようとするか

見ようとしないかはあなた次第だ。

 

人の人生に首をつっこんで邪魔をする暇があれば

まず自分の人生を生きること。

 

これは何も実際にネットで誹謗中傷している人たちだけに

言えた話ではない。

 

ふとしたときに、周りの人に不平不満を感じる人も良く考えてほしい。

それが直接的に自分に関係ないのに、そこに大きく反応したり

ネガティブな意見をぶつけたくなるのは、自分のことに集中できていないからだ。

 

自分の人生を精一杯生きていれば、誰かの人生に文句を言ってる暇なんてない。

自分に直接関りがあって改善しなければいけないことであれば別の話だが、

会ったこともない芸能人の嘘かホントかわからないゴシップに一喜一憂したり、

町ですれ違ったもう会うかもわからない人のファッションに文句を言うような時間は

必要ない。

 

こんなときは自分が自分に満足できていないとき。

やらなければいけないことができていないときだ。

 

自分の思考に注意してほしい。

他人のせいにしてないか、周りの嫌なところばかり目についていないか。

そんな時はまず自分がやるべきことができていないことがほとんどだ。

 

目を向けなくていいところまで目を向けるほど退屈で

暇な時間があるからそうなるのだ。

 

もっと人生を楽しむこと。

楽をするということではなく、行動するということだ。

 

楽しむことが成長の秘訣。

小さな幸せをみつけ、精一杯の人生を生きていこう。

 

 

by スティーブジョブズ

 

 一流の人達は他人から見えない所でも一流である。

誰かが見ているからベストを尽くしているわけではなく、

誰も見ていない所でもベストを尽くしている。

 

だからそこ一流でいられるのだ。

 

一流になりたいのに、二流や三流の練習を

していても一流にはなれない。

 

普段から一流の練習をしているからこそ一流なのだ。

 

自分の表面だけを飾り、一流の真似をしたところで

正体は簡単に暴かれる。

 

一流の人たちは顔つきや姿勢、細部にわたるまで

どこを切り取っても一流なのだ。

 

僕自身サッカーを長くやってきた関係で、

おもしろいことに気づいた。

 

背の高さや筋肉のつき方、国籍や足の速さに

関係なく、立ち姿や歩き姿を見ただけでその選手の

実力がなんとなくわかるのだ。

 

もちろんボールを一緒に蹴ってサッカーをすれば

より細かくその人のプレーの特徴や細かいところまで

わかるかもしれないが、それをしなくてもそれ以前の

段階ですでに明らかな違いを感じる。

 

草サッカーからプロ選手を目の前で見てきて

これはおもしろい発見だった。

 

これは普段からの思いや覚悟だったりが

その人の姿勢や態度に表れているからではないかと思う。

 

なんとなく友達とボールを蹴っているだけの人と、

サッカーを仕事として、常に切磋琢磨しながら戦っている選手では

明らかに内から放たれるものが違うのだ。

 

何でもない瞬間にもその人の思いが外に伝わり

特別な雰囲気をかもしだしているのだとおもう。

 

誰かが見ているからとか、誰かに評価されるためではなく、

自分がどうありたいか、どうしたいかという基準で考えてほしい。

 

自分の目指しているレベルを超えることはできないし、

挑戦しなければ何も始まらない。

 

一流になりたいのであれば、一流の練習をすること。

誰かに見られていないからといって手を抜かないこと。

 

神は細部は宿るのだ

 

 

 

事を成し遂げるものは愚直でなければならぬ。

才走ってはうまくいかない。

 

by 勝海舟

 

 才能だけで成功することは稀である。

すごい才能をもっていればある程度の

ところまではいける。ある程度の結果は

出すことができる。

 

ただ、本当に大きな事を成し遂げたいのであれば

それだけではうまくいかない。

 

才能あるものは世の中にあふれている。

そんな人たちが日の目を見ずに終わるところを

何度となく見てきた。

 

実際に大きな事を成し遂げている人の中には

才能がなかった人も大勢いる。

 

ただひたすらまっすぐにあきらめなかった人達だ。

 

 自分の才能にうぬぼれてしまえばそこで成長は止まる。

成長がとまれば待っているのは衰退だ。

 

今変化がとても激しい時代に成長なくして前には進めない。

停滞はやがて後退に繋がり、気づけばもう手遅れだ。

 

今この瞬間にできることをやっておくこと。

たとえちょっと周りの人たちよりも自分が得意なことがあっても

おごらないこと。

 

自分の目標にまっすぐ進み続けること。

 

その積み重ねがいずれあなたをゴールへと

導いてくれる。

 

ただひたすらまっすぐに。

 

誰かに笑われようとも、騙されようとも、

自分の心は一切の曇りがないように。

 

 

 

 

 

by ツルゲーネフ

 

 乗りかけたということは心でまず乗りたいと

感じたという事。

 

 そしてそこでためらうということは

頭で一旦考え、ポジティブな要素やネガティブな要素、

今もっているものを失う怖さなどと直面し、思いとどまって

しまっているということ。

 

 人は未知の事、見えない事に対して

自然と不安や恐怖を感じるもの。しかし、それに対して

毎回自分に待ったをかけているのであれば、

気づいたときには人生は終わってしまう。

 

乗りかけた船には乗ってしまうことだ。

心はいつも素直で、自分の本当にやりたいことにわくわくする。

考える前に心が動く。

気づいたときには船に乗りかけてるのだ。

 

そんなわくわくすることに出会えるのは本当に幸せな事。

航海に出たら、荒波やいくつもの困難が待ち受けているかもしれない。

しかし、そこにはたくさんの夢が詰まっている。

 

困難の数だけ、成長がまっている。

 

そこで得られるものは失うものよりも

はるかに多くのものだ。

 

 船に乗りかけた時、制限をかけるのはいつも自分。

目の前に船があって、乗るかどうかを決めるのは自分なのだ。

 

その制限を振り払って、冒険にでることができたなら

あなたはいつも以上に輝きを放ち、人生に喜びをもたらす。

 

今踏みとどまっている人は、よく考えてほしい。

人生は一度きりなんだという事を。

 

誰かがいうかもしれない。

自分はもう歳だから。

 

また別の誰かがいう。

自分はまだ若いから。

 

そんなことを言っていたら、

そのタイミングは一生こない。

 

目の前にある船は港を離れてしまう。

次の船はくるのか、未来は誰もわからない。

 

ためらわずに乗ってしまえ。

人生意外とどうにかなる。

 

なんとかなるものだ。

 

少なくとも今の現状に満足していないのであれば、

何かを変えてみよう。

 

見える景色が変わってくる。