またまた、連日のアメトピ掲載です。
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この記事です。
タイトルは
「ドラマを観て気付かされた父の障害」
って、父が生きていたら、怒鳴りまくられたことでしょう。仏壇の前で報告でもしようものなら、化けて飛び出しそうです。くわばらくわばら
せっかく、、、か、どうか知らんけど、父のことが取り上げられたので、その父と関連するようなことを、今日の記事にしようと思います。
同じく今季の民放ドラマで
「じゃあ、あんたが作ってみろよ」
という夏帆さんと竹内涼真くんのドラマが、なかなか面白いんです。
竹内涼真が、まるで昭和のモラハラ親父のような役で、同棲している夏帆ちゃんに上から目線で、ちょいちょい勘違い甚だしい発言をするところからドラマは始まりました。
男子たる自分のペースで動き、女はそれについてくるのが当たり前という彼が、練りに練ったプロポーズ大作戦を実行して、あっさり振られるという序盤から目が離せないドラマです。
とはいえ、ドラマはドラマよね。
この竹内涼真演じるところの男子は、あっさりと自分の悪かったところを認めるあたり、そりゃ〜ハッピーエンドにしたいドラマ仕立てですものね。
我が父は、専業主婦の母が作る料理に文句をつけていたなぁ、などと思い出します。お嬢様育ちでお料理などの家事は、数人の住み込み女中がやっていた家庭で育った母ですから、お料理なんてしたこともなく、私から見ても料理下手な人でした。
「お前の作る不味い味噌汁を、何十年も我慢して飲んできたんだ
」
と、朝っぱらから怒鳴る父に怯える母。
竹内涼真くんは怒鳴らないで、笑顔を見せながら
「どちらかというと、茶色いおかずばかり」
のような言い方をして、それはそれでグサッと来ますけどね。
父が母の作る味噌汁を、毎朝、毎朝、「不味い」と怒鳴り声を上げるようになったのは、私が24歳の時でしたっけ。
私の24歳の誕生日に、ささやかながら母がいつもよりご馳走を並べた食卓に向かった途端
「自分の干支を独身で迎えた姉は1人もいないのに、お前はこんな歳まで結婚もしないで〜
」![]()
と、怒鳴られた日からです。
私は父と口も聞かず、父は私が独身でいることのイライラを母の味噌汁にぶつけたという図式でした。
自分の思うようにならないと怒鳴ることで発散させ、それでも怒りが収まらないのが、父の抱える障害なのだと思います。
父は幼少の頃に、将来の自分の仕事を決め、使命感を持って着実に歩みました。念願通りにT大法学部からの国家資格取得、自分の気に入った女子と無理矢理結婚し、子を2人持ち、、、ただ、計算違いだったのが子が女子2人だったこと、、、ゆえに、長女を長男として自分の思うままに教育してきたのに、その長女が24歳になっても独身という計算違いに腹が立ってしょうがないというところだったのだと思います。
疲れるでしょうね。こういう融通の利かない性格って。それが脳に支配されている障害となれば、なおのこと、自分ではどうすることもできず、怒りを持続させねばならないのですから、お疲れ様なことです。
私は子供の頃から怒鳴られ続けていたので、かなり免疫があるというのか、諦めもありましたが、母は直接怒鳴られる回数が私よりずっと少なかったからか、オロオロとしながら泣いていました。
その後、私も妹も結婚し、家に父と母2人になってしばらく後に、母は鬱になりました。
父のターゲットだった私がいなくなり、母を怒鳴るようになったのでしょう。
障害や精神科の病を抱える人の身近な人が、共依存の形で精神科の病気になるケースは珍しくないことです。母が73歳で最後の入院をした時、体重は24キロしかありませんでした。入院中に脚をさすると、まるで小枝のようでした。
母の人生は74歳で終わりました。
80歳でひとりになった父の食欲は落ちることなく、オシャレして生き生きとし、私の顔を見れば怒鳴ることも忘れず、相変わらずでした。
最後に会った日も怒鳴り声で始まり、怒鳴り声で終わり、96歳まで元気でした。
なんだかなぁ〜です。
我が父のことを書き出すと止まらないもので、またまた長文になってしまいました。
それにしても、アメトピ掲載が続く時は続くし、取り上げられないとなれば何ヶ月もスルーだし、よくわからないシステムです。
「ショボイ」と「障害」がキーワードだったのかなぁ。となると、「ショ」がAIの好みの響きだったのかしら〜![]()
しょーもなっ!![]()
