20代の頃の香港生活から始まり、ソウル、深圳、上海と、合間に日本生活を交えながら、トータル20年を軽く超える海外生活を経験してきて、気が付けば古希を迎えちゃった婆になって、やっとの日本定住が決まったピアリンでございます。

(論文添削なら、一文が長過ぎます!と、赤ペンで書き入れる悪文の書き出しでスミマセン)


日本で最後にやっていた仕事が、高校生の論文添削と大学生のエントリーシート添削でした。


それまでも、帰国のたびに職を変えざるを得ず、お受験塾の講師、ベビーシッター、教育シッター、障害者自立支援サポート、保育園保育補助などを経験してきましたが、仕事をしては海外へ、戻って仕事を探しては、また別の海外へと繰り返した挙句、今はただの無職で「雀の涙」の国民年金受給高齢者で世間の厄介者に分類されています。泣くうさぎ

またも、一文が長すぎです!


人というのは、どこかで誰かに必要とされている確信が欲しいものですが、残念ながら、今はノランに必要とされている程度で、世間からは存在すら見えない埃のようなものかと思われます。

ちょいと卑屈モード笑


さて、ボヤキはこの辺にしておきまして、存在価値なしのゴミクズの今、私が経験してきた海外生活(ごく限られたアジア圏しか存じませんが)のエピソードでも公開しようじゃないの、と、まあ、誰の役に立つでもない昔話を書いてみようと思いついた婆です。


お付き合い下されば幸いです。


音符ルンルン音符ルンルン音符


若い頃、初めて帯同した香港では、


なんなの?日本人妻の社会って!?

と、夢も希望も打ち砕かれ、早々に望郷の念を強く抱きました。もっとも、事前に深田祐介の著書を読んでおりましたから、帯同妻の怖い世界があることは、頭ではわかっておりましたけど、想像以上の現実でした。ドクロ


会社での夫の立ち位置は、もちろん一番下っ端のペーペーですから、帯同した妻も、へいこらコメツキバッタの毎日。

毎日です。ホントに毎日。

朝は8時前から電話が鳴り、


「あなた、今日、何なさってる?」

と、夫の上司の、40代半ばの奥様からの一声から始まる1日。


「ウチにいらっしゃらない」

というお声かけは、命令文と受け止めるべし!


行けば愚痴聞きです。

とくに、同じ会社の彼女と同じくらいの年齢の奥様に関しての悪口雑言が止まりません。その方は、私の大学の先輩なのですが、

「あんな大学出てるからって、偉そうにして、ちっとも大した大学じゃないのに。私は、高校の時に母が亡くなって、家事をしなきゃならないから大学に行けなかっただけなのよ」


って、私もその大した大学じゃないところ出てますけど、それを知ってて言う怖さもやもや


ま、どーでもいいけど。

大学を出たとか、有名大学かどうかとか、偏差値高いかどうかとか、人生のなんの足しにもなりゃ〜せんです。


外にランチに行ったり、買い物したりのお供では、タクシー拾って、お乗せしてお送りして、、、。


二言目には、

「会社の看板背負っているんだからね」

を繰り返されました。

私は会社から給料もらっとらんし、帯同しているだけで、会社の看板背負う義理はございません!という返しができりゃ、ストレスもないけど、言えるはずもなく泣くうさぎ


そして、たまに体調が思わしくなく、お誘いをお断りすると、


「あなた、香港の日本人社会にいられなくなるわよ」

って、脅迫ですか〜真顔


ある日、ダウンタウンのショボイ洋品店にお誘いくださり、私に安いTシャツを買うよう勧められました。

身体に当ててみて、ちょっとサイズが大きいかな、と言うと、


「あなた、言葉できないでしょ。私、英語を習ってるから、言ってあげるわ」

と、ご親切に、、、


発せられた言葉が


「it's too small」


ゲッソリびっくりマークびっくりマークびっくりマーク



笑笑笑


今でも忘れられない、あの得意げな顔で発せられた「イッツ トゥー スモール」

の声が頭の中で再現されます。

普段より低い声で、鼻を膨らませて、皆様もご一緒にどうぞ


「イッツ トゥー スモール」爆笑