昨日の記事の中
エスカレーター挟まれ事故のことが、今朝の朝日デジタルにあり、わかりやすいイラストがありました。
昨日いただいたコメントの中に、どこに挟まったのかわからないという内容がありましたので、イラストお借りして貼り付けます。
本日もテレビの話の続きです。
朝ドラ「虎に翼」で、食糧管理法を担当していた判事花岡さんが、正義を守り、闇の食糧調達をしなかったがために餓死するという衝撃的な事実から始まった1週間でした。
昭和22年頃と言えば、私の亡き父が司法試験の勉強をしていた大学時代です。
父の残した文章の中に、
「配給の小麦粉をできるだけ水を多くして溶かし、薄く伸ばして焼いて食べ、飢えを凌いだ」
という記述がありました。
九州から東京の大学に出てきた父は、同県出身の学生が入れる宿舎で、同期の友達と猛勉強に励んでいました。次の配給がいつ来るかわからない状況の中、わずかな小麦粉だけが命綱だったようです。
闇で食糧調達できるほどのお金があるわけでもなく、栄養失調で倒れながら勉強したそうです。
でも、「あるところには、ある」のです。餓死寸前の父に、裕福な家庭の娘の家庭教師を紹介してくれた人がいたそうです。父はその娘に勉強を教え、そのお宅で提供される夕食により栄養を補い、空腹を満たすことができたと書いてありました。
後に法律家になった父が、憲法第14条について「平等などない」と、否定的なことを言っていた底辺には、こんな父の体験があるのだろうと、なんとなく理解できるエピソードです。
当時の寅子は憲法第13条と14条を心の支えとして、法曹界で仕事をしています。
考えてみれば、いま現在も、まだ人は憲法第14条を実感できていないのではないでしょうかしらね。
夫婦別姓、同性婚、多様性などに、まだもたついていますし、多種にわたるハラスメント、今なお様々な場面で差がありますからね。
余談ですが、諭吉さんの「学問のすゝめ」
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の有名な一文は、人間みな平等を謳ったものではなく、
「しかしながら、賢い人愚かな人、貧しい人富める人、身分の高い人低い人がいる、だからこそ、その差を埋めるべく学問に勤しむべし」
という文に続きます。
つまり、不平等は自分の不勉強さが招くものということであり、勉学に励み自分で自分を持ち上げよ!という趣旨です。
明治時代の思想家、教育者で大学を創立した諭吉さんが、戦後の昭和時代にいたら、この国は少しは変わったのかしら?
そういや諭吉さんはお勤め終了、渋沢さんにバトンタッチしますが、教育の次は商売でしょうか。
私はチャイナに10年住んでいて感じます。
そりゃ、粗探ししなくても、色々見えてくる不都合はあるものの、国が力を注いだ研究部門での発展は恐ろしいほど進んでおり、日本は全く遅れをとっているということ。
昨日のニュースでも紹介していましたが、AIの進歩の速さと実用性は、世界一のアメリカと並ぶ勢いです。
昔々、半導体部門で日本は世界をリードする存在だったはずなのに、商売下手というか売り込み下手、アメリカとの貿易摩擦などで、あれよあれよ、、、でした。複雑な心境になります。
渋沢さんだったら、どうしただろう?などと、様々な幻想と妄想の世界を彷徨う、ソファ付きグータラ婆なのでございます。
本日の土曜日、夫は会社に行きました。出勤後、とりとめもなくダラダラと思いつくまま書き殴り、(いつもながら)とっ散らかった内容になってしまいました。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました
今日も暑い日になりそうです。
皆さま、良い週末を