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ニュースを観ていたら、札幌かどこかのホテルで起こった「首なし殺人事件」の容疑者親子の話題が出てきました。

ひとり娘とその両親が逮捕されたうち、母親の初公判でした。ここで浮き彫りになった摩訶不思議な親子関係に、私は目がテン、お口アングリ、驚天動地、衝撃、茫然自失、、、と、様々な言葉が頭に広がりました。

娘ファーストで育てられた主犯女は、両親を奴隷のように扱い、医師である父のことを「ドライバー」と呼び、母を「彼女」と呼んでいたようです。

娘のことを叱ったことは一度もなく、娘が不登校で引きこもり、ネットで買い物をするのを無限に受け入れた為に、段ボールがいっぱいで父親は寝る場所がなくなり、ネットカフェなどに寝ていたとか、母には「私は奴隷です」と書いた紙をキッチンに掲示していたとか、、、。

娘が夜に歓楽街に行きたいと言えば、アッシーである父親が送迎するというし、殺人の後始末をしろ!と言われれば、やっちゃう親って、なんですか?

今、朝ドラ「虎に翼」では、憲法第14条がテーマになっています。全ての国民は法のもとに平等であるという有名な条文ですが、男性と女性では社会的にも家庭内でも、大きな差があり、男尊女卑の習慣は簡単に変化するはずもなく、寅子ですら、家長制度に縛られている面もあり、葛藤を抱える立場にいる昭和20年代戦後の悩める時代です。

そして、令和の今でも、まだ男性と女性では必ずしも平等ではないこと、タテマエと実体の違いなどが続いており、LGBTQを声高に叫んでいる途上にもあります。

それが、どうしたら、親が娘の言いなり、奴隷と呼ばれるような親子関係になってしまったのか。

理解不能です。

理解不能なことを語るのもなんですが、、、

いつの時代だかに、「褒める子育て」が推奨され始めたことがありました。
確かに、褒められれば嬉しい。それは婆も同じです。豚も木に登るタイプの婆は、褒められれば有頂天になり、頑張っちゃいます。
とくに、子供の頃から怒鳴られて育ったもので、家庭内で褒められた経験がなく、他人に褒められたら嬉しくて、やっと自分の存在価値を見出すような子でした。だからか、自己肯定感ほぼゼロのまま大人になりました。

その意味では、「褒めて育てる」という方針は、子供の肯定感を育てる良い習慣とは思います。
が、物事の善悪、危険回避、社会性を身に付けるためには、家庭内教育は大事であり、時には叱る場面も必要です。

そこを履き違えてしまった残念な親子が存在することは、私は仕事現場で何人も見てきました。子供の指導をする仕事でありながら、親も育てる必要を感じたことは度々ありました。

こんなことが、今回の殺人親子に当てはまるかどうかは知りません。私の憶測でしかないので、今後の裁判の行方を見守るしかないのですが、親は子供が生まれた時、まさか、この子を犯罪者にしようと思って育てる人はいないだろうと思えば、どこでどう間違ってしまったのか、それは、今現在、子育て中の悩める親たちには、気になることではないかと思います。

この事件の主犯格である娘を庇う気はサラサラないものの、ある意味「親ガチャ」ハズレだったのかもしれません。