いつものように、出かけたくない病を発症しつつも、時間になれば仕方なく重い重い、重たい腰(お尻)をよっこらせと、持ち上げて歌の練習に向かった昨日の土曜日。
なぜ、こうも出不精なのだろう、と朝から考えていました。
デブ症などという言葉が思いつきましたが、マジメな話、こういうのを「老人性鬱」って言うのかしら?とか、もしや認知症の始まりかなどと自己分析を繰り返すうち、出かける時間になりチンタラチンタラ。
と、前置きはさておき
電車とバスを乗り継いで練習場に向かうのですが、そのバスでのこと。
利用したバスは、前方の半分ほどが優先席で、前を向いたひとり掛けと、横向きの長椅子タイプの席があります。
後方は、ステップを上がり、真ん中の通路を挟んで、進行方向向きの2人掛けの椅子が4列と、一番後ろに5人ほど座れるタイプです。
そこそこに乗客のいるバスで、前方は全て席がふさがっていました。
後方の2人掛けのところは、見えるところの席は母子でお座りになっていましたが、その後方は、どこの席もほとんどがお一人で座っているようなので(通路からは顔しか見えない)、私はステップ上がって後方に進みました。
ステップ上がると席の様子が見えます。
なんと、どなたさんも2人掛けにおひとりで座り、横に荷物を置いていらっしゃる
しかも荷物を窓際に置いて、ご自分は通路側に座っていらっしゃる方もあり、1番後ろも荷物を置いている方がいらして、5人掛けながら、4人だけで、もう誰も座れない状況でした。
仕方なく、私はステップから降りて、ドア付近に立ちました。結構なカーブの道路を走るバスですから、電車と違って立っているのは危険すら感じます。
がら空きの時なら、2人掛けにおひとり様と荷物でも良いかもしれないけど、乗ってきた人が、席が空いてると思ってステップ上がって、右や左の席をキョロキョロ見ているのに、そのまま知らん顔で荷物を膝に乗せず、ひとり分の席を空けようとしない人々に、私は驚きと悲しさを感じました。
私がもし座っている立場で(最初から荷物は膝の上に置くけど)、万が一、空いてるところに荷物を置いたとしても、人が乗ってきた時点、その人がキョロキョロと席を探す前に、サッと荷物を膝に乗せて空席をご用意しますけど。。。
先に乗ってた人が偉いわけでもなんでもなく、一人占めして良いわけでもなんでもなく、後から乗ってきた人が
「すみません。お荷物どけて頂けますか?席に座らせてもらってイイですか?」
と、お願いするのも違うでしょ、と思うから、私はそんなことは申しません。
20分ほど、揺れるバスの中で転ばないよう立ち通しながら、モヤモヤしていました。乗車料金263円、同じように支払いながら、なんだかなぁ〜という思いもある。
こんな風に、一歩外に出ればイヤな気持ちになるから出たくなくなるのかもしれないと思いながら、では、なぜイヤな気持ちになるのかを分析してみました。
一つには、家篭りが続いた中国生活の中で、私の考え方が偏屈になってしまい、外界との隔たりを過剰に感じすぎているのかもしれないこと。
もう一つは、中国に生活する中で、様々な光景を目にした時、日本人ならこんなことしないだろうと、日本を美化する傾向にあり、日本人は民度が高いはずだという思い込みが膨れ上がっているから、いざ一時帰国してみると、その現実を受け止めきれず落胆の気持ちがあるのかもしれないことです。
長引く中国生活の中で、私は中国にいれば中国の変なところが目につき、日本に戻れば日本の変なところが目に付くのかもしれません。
私は「なにもの」
わかる人だけにはわかる、2人になったKing & Princeの新曲第1弾でーす。
と、宣伝は置いといて
私は、ただ、ただ、
他人を思いやれる社会を望むだけです。
人の優しさが欲しい
追記
歌の練習は、ものすごく楽しかったです。
ヘンデルの難しい曲ですが、ラテン語の早口言葉やメリスマを、指揮者に求められる軽快なテンポで歌い切った後は爽快感でいっぱい
これだから、歌をやめられない
相変わらずの長文になってしまいました。お読みいただきまして、ありがとうございます