人の欲にはきりがありません。お金をいっぱい持っていても、常にあれが欲しいこれが欲しいと思い、服を買ったらそれに合うバッグやアクセサリーが欲しくなったりします。こうして執着が生まれます。
禅の言葉に「本来無一物」と言うのがあります。達磨大師から数えて六番目の祖、慧能禅師の言葉とされています。慧能禅師は、師匠の言葉に対し、「迷いの向こうに悟りなど無いし、心も無い。本来何も持っていない。」と説きました。
禅においては、私たちは何も持ってないことになります。何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいきます。どんなに稼いでも、どんなに名声を博しても、其れは一時のものです。自分の体でさえ「借り物」であり、「預かりもの」です。当然子供も「預かりもの」です。それを自分の所有物のように考えるから、『自分が死んだ後、この子はどうなるのか』なんて余計な心配をするのです。
いくら苦労してお金をためても、たくさん物を集めても、あの世には何も持っていけません。ならば生きているうちに, それらのものを人のために使ってみましょう。人に感謝されることをすれば、其れは巡り巡って自分に帰ってきます。
仮にあなたがいなくなっても、誰かが生き続けています。誰かのために財産を使えば、あなたの功績は未来永劫語り継がれるかもしれません。
得たものはため込まず、分かち合いましょう。分かち合うものが無ければ、優しい言葉や温かい笑顔で、周りを幸せにしましょう。
モノももちろん大切ですが、もっと大切なものは経験です。あなたにしかできない経験をたくさん積んでください。そしてたくさんの思い出を作ってください。
あの世に持って行けるのは、魂に刻まれた沢山の思い出だけです。
参考および引用・・・「今を生きる練習」、「苦しみの手放し方」