これまで本ブログでは、「アダルトチルドレン」や「HSP」を取り上げてきました。その理由の一つとして、我が神経質者の会に、ある時期急に増えた疾患だったからなんです。ただ正式には「アダルトチルドレン」も「hSP」も、いわゆる「病気」ではないので、おそらく本などを読んで、『自分もそうではないか』と「自己診断」して、会を訪れてきたものと思うのです。
そんな人たちも少しずつ減ってきたと思っていたら、その陰で急増していた疾患があったのです。それが「強迫神経症」あるいは「強迫性障害」と呼ばれるものです。こちらはたいてい医療機関を受診しているので、「自己診断」ではないと思うのです。
それにしてもなぜ、「強迫性障害」は増えているのでしょうか。もちろんいろいろな原因があると思いますが、私は社会全体が「強迫的」になっているせいだと思えてならないのです。
ちなみに「強迫的」とは、もともと対人関係の用語のようで、意味は「相手を自分の意志に従わせるために、無理強いすること、押し付けること、」とありました。しかし
強迫的な社会」と言うのは、相手に対してではなく、自分自身に対して「強迫的」にならざるを得ない社会の事だと思うのです。もちろん時に相手に対して「強迫的」な態度に出ることもあるかもしれませんが。
現代社会は様々な「強迫」に満ち溢れています。たとえば、
「絶対に間違ってはいけない」
もちろん仕事などで正確な結果を求められることもありますが、それほど過度な要求の無い時でも、完全でなければ気が済まない、少しの間違いでも許されない、そんな風に考える人が多いようです。
「早くしなければならない」。何事に対しても「効率」、「迅速」が求められます。もちろん仕事が早い分には問題ないのですが、ちょっとでももたもたしていると、「早くしろ!」とツッコミを入れられるような社会はどこかおかしいと思います。なんでもスピーディになる一方で、「待つこと」が出来なくなっているのかもしれません。また、もたもたしていると人に嫌われるという思いもあるのでしょうね。
ノロノロ歩いているお年寄りに、「もっと早く歩けねぇのかよ」と怒っている人がいました。息子さんかもしれません。私には「早く死ねよ」と言っているように聞こえました。
そして、「他者と同じでなければならない」と言うプレッシャーもあります。他人と違うところがあるとそれを「欠点」だと認識し、「矯正」の対象にしてしまいます。こうして何の個性もない = 面白みもない人間が大量生産されるのです。
口先では、「個性が大切」などと言いながら、例えば図工の時間にみんなと違う絵をかいていたりすると、「何であんたはみんなと同じことが出来ないの! まったく自分勝手なんだから」と叱られます。こうやって育てられた子供は、『人と同じくできない自分」を劣ったものとみなし、自己否定するしかなくなります。
こんな風に社会全体が「強迫的」になっています。もちろんだから「強迫性障害」が増えたのだ。と言いたいわけではありません。「強迫性障害」の発症には、もっと個人的な性格や生育状況、さらに経験なども関与してくるでしょう。ただ。まったく無関係かと言うと、そうも言えないと思います。
「強迫的社会」に生きる人は、『自分に鞭打つ人』です。「こんなんじゃだめだ」、「こんなんじゃだめだ」と、常に自分を責め、自分を傷つけながらも、ひたすら「みんなと同じ」になるよう努力します。
しかしそこには、「自己否定」しかないのです。「強迫性障害」の原因が「自己否定」だと言ったら、考えすぎでしょうか。
参考・・・「自己肯定感の育て方」、悩むあなたのままでいい」