不安は自然・・ | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

生まれてきた人間は、必ず死ななければなりません。不老不死は人類の夢ですが、これを実行できた人は一人もいません。100年もすればいま生きている人のほとんどがいなくなります。

言うまでもなく「生老病死」は私たちの必然です。

 

        画像 lio-sapporo.jp  不安を解消する方法

 

なのに、私たちは普段、これをなるべく感じないようにしています。なるべく見ないようにしているのです。しかし、頭はそれで良くても、身体が感づいてしまうことがあります。胃が感じてしまったり、腸が感じてしまったり、手足や皮膚が感じてしまったりするのです。その時私たちは何とも言えない不安になったり、落ち込んでしまったりするのです。「ふさぎの虫」の仕業です。

 

昨日も申しました通り、私たちは競争社会に生きています。

ここではいつも元気に、胸を張って、自信満々でいなければなりません。ところが日本人は総じて自信がありません。だから日本人は、

「もっと自信を持たなければならない」

と言われるのです。確かにその通りだと思います。

しかし、不安を持つことと、自信を持つことは、対立する関係ではありません。

 

不安がないと言うことが、自信があることにはならないのです。逆に、不安があるから、自信がないともいえないのです。

不安はなくすことはできません。むしろ不安を感じている自分を受容し、不安を感じている自分に安心しなければならないのです。

「不安は私たちを支えてくれる大切な力である。」と思うのです。

 

      画像 kokoro-odayaka.jp 傷つくことを言われてしまう

 

何か大きな災害があると、確かにPTSDのような症状を訴える人が多発します。だからその人たちをいやすために、全国からたくさんのセラピストたちが集まります。それはそれで素晴らしいことだと思います。

しかし、その考え方の奥底に、「傷ついた心は悪いものだから、早く治さなければならない』と言う気持ちはありはしないでしょうか。

 

人が傷ついたり、不安になったりするのは、ごく自然な現象です。善でもなければ悪でもありません。あるがままの姿に他ならないのです。

だからそれらを悪と見立てて、治そうとするのは間違いであり、もっとも自然に反した考え方と言うことになるのです。

傷ついた心や不安は治癒の対象ではありません。あるのはそれらとどう付き合っていくかと言うことだけです。森田療法はそんなアプローチをするのです。

 

参考・・・「不安の力」、「森田療法入門」