自分と向き合う・・③ | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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「感情に向き合うのが怖いのは、自己否定しているからなんですね。」

ある方からこんなコメントをいただきました。

その通りです。良いところに気づかれましたね。では、どうして自己否定すると、自分の感情と向き合うのが怖くなってしまうのでしょう。そこらあたりの事情を少し掘り下げてみましょうか。

 

画像 www.huffingtonpost.jp ハフポスト 物語を通して自分の感情に向き合う

 

自分と向き合い、自分を発見していく作業そのものが、『自分を肯定する』過程であることはお話ししました。

そんな過程の中で、自分の感情から目をそらせてしまうのは、おそらく自分の弱さとか、醜さなどを直視することを、恐れているのでしょう。言うまでも無くこれは自分が自分を否定しているからなんですね。

 

自分を否定していれば、最初から自分を責めたり罰したりしたくなってしまいますよね。けれどやはり本心は自分を責めたくありません。自分の心と向き合うたび、自分を責めるのもつらくなってきた、自分を罰することもしんどくなってきた、もうそんな自分をどっかに放り投げてしまいたくなる。そんな自暴自棄に至る悪循環にはまり込むのを恐れているのかもしれません。

 

もちろん「自分と向き合う」本当の意味は、「どんな自分であっても、そのまま認めて受け入れること」にあります。自分を否定したくなるその奥には、「こんな自分であってはいけない」と言う思いがあります。もしこのような「自己否定感」を排除してみたら、その奥にはどんな自分がいると思いますか? 

 

今まであなたはいろんな人から「否定」されてきました。その中には『自分自身』も含まれます。そんな否定の連続に「傷ついている自分」がいるとしたら、そんな自分をさらに責め立てたり罵声を浴びせたりして、さらに傷つける必要があるのでしょうか。

残念ながら多くの人が、このような仕打ちを自分にしているのです。

 

 画像 www.pinterest.jp ピンテレスト 女性の本音=自分らしく生きる

 

もし道端に「傷ついている人」がいたら、すぐに助けますよね。なのに自分の「傷ついた心」に対しては、さらに責めたり罰したりしているのです。他人の場合と同様、「傷ついている自分」が居たら、その心に寄り添い、いたわってあげることが本当にするべきことではないのでしょうか。

 

「傷ついている自分」と向き合い、そんな自分を認められれば、自分を否定するよりも、もっともっといたわってあげることが出来るでしょう。

「傷ついた自分」をそのままにせず、自分の思いや感情を受け入れること。そして、そんな自分をいたわりいやすために、自分と向き合うのです。

つまり『自分を愛するため』に、向き合うこと。それはそのまま『自分らしく生きる』ことに繋がってくるのです。

 

参考・・・「自己肯定感の高め方」、「他人に気を使いすぎて疲れる人」