最初にお断りしておきますが、これからあと4回ほど、同じような記事が続きます。退屈を感じるかもしれませんが、どうかつまらないからと言って、読者登録をやめないでください(笑)。
内容は退屈かもしれませんが、必ずやあなたのお役に立てる記事だと自負しておりますので、よろしくお願いいたします。
さぁ、勇気づけの実践の2回目。本日は「目的論」を取り上げます。目的論とは言うまでもなく問題の原因ではなく目的に着目する立場の事ですね。本日は、作業の片付けがうまくない部下にどのように注意喚起をするかです。
まずは「勇気づけ」の例です。
「昨日は遅くまで残業頑張ってくれたね」の後に、「金槌はここ、スパナはここ、ドライバーはこっちに戻してくださいね」のように、具体的に伝えると、良い結果になるようです。
なぜなら、相手の意識が「出来なかったこと」ではなく、「次にやるべきこと」に向きやすくなるからです。
結果として否定的な感情を抱くこともなく、次からは自主的に問題解決に向きやすくなるのです。
まだ同時に「直してほしいところを直してもらう」と言う目的も果たせます。改めて「なぜできないのか?」と言う指摘は不要なのです。
もうお分かりだと思いますが、「勇気くじき」の例です。
「なんだい! また出しっぱなしじゃないか!」などと出来ないところだけを指摘すること。これは明らかにNGですよね。ならばこういう言い方はどうでしょう。
「昨日は遅くまでよく頑張ってくれたね。だけど工具が散らかっていたよ」
一見問題なさそうです。でもこれも「勇気くじき」のメッセージになるのです。それは「ダメな部分」に意識が向き、「ああ、頑張ったつもりなんだけど、結局自分はダメなんだ」となってしまいがちなんです。もちろん本人の努力不足もあるでしょうが、能力的なものには、本人はどうすることもできないことも多くあるのです。
「目的論」の「勇気づけ」では、基本的に「相手に増やしてほしい部分」を指摘してあげることです。言うまでもなく「片付け」ですよね。また、他人との比較よりも、個人においての成長を評価してあげることも大切です。
反対に「勇気くじき」は、いうまでもなく、出来ない部分を指摘することと、他人との比較を重視することです。
こんな偉そうにお伝えしている私ですが、実は私もつい、「勇気くじき」の言葉を口にしてしまうことがあります。昨日の例では、営業成績がトップになった部下に対して、とうしても「すごいね」、「よくやったね」と言ってしまいます。もちろん言っても良いんです。ただその後にそこに至るプロセスや努力、工夫などに意識を向けさせるような質問をすればよいのです。そうすれば本人だけでなく、組織全体の生産性も高まるはずなんです。
アドラーは「不完全である勇気を持ちなさい」と言っています。完璧を求めるほど私たちは動けなくなってしまいます。出来ない自分にも気軽にOKを出してあげることですね。
「不完全である勇気」とは、アドラーのお弟子さんのドライカーズの言葉だとされています。大意は『自分の不完全さを受け入れること』、つまり「自己受容」を意味する言葉であると解釈されています。
また、『自分の不完全さを言い訳にして、挑戦するのを回避してしまう人たちにも必要な勇気である」とも述べられています。
〇〇が出来たら、挑戦する。
と言う人がいます。絶対に失敗しないというおぜん立てが整わない限り、挑戦はしないというものです。
気持ちはわかりますが、完璧を求めている限り、永遠に挑戦するチャンスはやってきません。
参考・・・「幸せになる勇気」、「幸せに生きる方法」