普通である事・・① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

森田療法は森田正馬先生によって創設され、今や世界中に知れ渡った精神療法の一つであります。すでに創設されて100年が経過しています。

森田先生は「不安常住」と言う言葉を使いました。不安は常に私たちの周りに存在するということです。哲学者のサルトルも、同じようなことを言っていましたね。

人間は不安そのものです。病気や事故に遭う心配もあるし、それを免れてもいずれは死んでいく存在です。けれど少なくとも今日明日は大丈夫だろう。そういう見通しがあればこそ、不安は不安として抱えながらも、私たちは頑張って一日を有意義に過ごそうとするのです。

 

 

森田療法は不安のままに行動しなさい。不安のままに会社に行き、不安のままに学校に行きなさい。不安のままにやるべきことをやっていきなさいと教えてくれています。

やるべきことをやっているうち自信もついてきますし、心も健康になってきます。不安は薬を飲んでも、自分を叱咤激励しようと、無くなるものではありません。

「不安な自分」で生きるほかありません。このようにアプローチするのが森田療法です。

 

森田先生は良く、「平凡な人間になれ」と言いました。

決して傑出した人間になる必要はないのです。まずは平凡な普通の人間であるべきだというのです。

ところが、実際にやってみるとわかるのですが、「平凡な人間」になるほど難しいものはないのです。いろいろな面で「平均的な人間」になろうとするのは、まさに至難の業です。

もちろん人格面だけを言うのではありません。例えば朝起きて仕事に行く、そして寝るまでの間、私たちは平均値以上の事をしているかと言うと、平均値以下の事が多いのです。

 

神経症になるような人は、人並み以上の生活をしようと、非常に負けず嫌いです。さらに一つの事だけに焦点を当てていることが多いのです。神経症と言うのは、いくつも同時に悩みを作らないのが、特徴と言えるのです。

対人恐怖だったら、顔が赤くなること「だけ」。しゃべる時にしどろもどろになること「だけ」。対人恐怖の人は心臓の事はあまり気にしません。

心臓の事が気になる「不安神経症」の人は心臓の事「だけ」が心配で、対人的なことは気になりません。

これを「防衛単純化」と言います。自己防衛の一つで、敵を一つに絞って、これさえなければ自分は誰にも負けないんだがなぁ、と考えるのです。

 

 

けれどこういう人に限って、たいていの面で劣っていることが多いのです。ある精神病の患者は自分の事ばかり訴えます。しかしベットや枕は汚れてぐちゃぐちゃだし、シーツもしわだらけです。パジャマもはだけ、ヒゲさえ剃っていないのです。時間はたっぷりあるのに、です。

神経症も実は似たり寄ったりです。

一から十まで欠点だらけの人が多く、決して一つだけ人に劣っているのではありません。

「防衛単純化」を隠れ蓑にする人は、これさえどうにかなれば、自分は優れた人間になれるのに、と思っています。ある意味傲慢です。彼らには「普通であること」の大切さが見えていないのです。

 

けれどこれは神経質に限ったことではないのかもしれません。

人より良い点数を取ろう、人よりいい大学を出よう、人より出世して、たくさんお金を得よう、・・すべて人と比較して、それ以上であろうとしています。「普通」とか「平凡」では満足できないんです。

けれど彼らは競争の果てに、何を得たのでしょうか。戦い疲れて、結局は「普通であること」のすばらしさに気づきつつあるのが、現代人ではないでしょうか。

まずは平凡な人間になることです。それから次に進むことを考えればよいのです。

 

参考・・・「捉われる生き方」、「あるがままに生きる」