「人生の立場」を考える | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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同じシチュエーションでも、人の反応はまちまちです。人は物事に対して、その人独自の基本的態度を持っていると言われています。

これを交流分析では、ライフポジション(人生の立場)と言い、大きく分けて4つに分類できるのです。

ライフポジションは、人それぞれのこれまでの体験や、知識と言った事柄が絡まりあい、関係しあったうえでの結果ですが、時に他人のライフポジションが理解できないこともあります。逆になぜ、自分の感じていることが、他人にはわからないのだろうと、いぶかしく思うこともあるかもしれません。

 

 

ライフポジションは、次の四つに分類できます。

①私はOK、あなたもOK。

②私はOKではない、あなたはOK。

③私はOK、あなたはOKではない。

④私はOKではない、あなたはOKではない。

 

例えば問題を抱えている同士が、話し合っている場面を想像してみます。その中でAさんは、「みんな一緒に頑張れば、何とかなると思うよ。きっと大丈夫だよ。」と言いました。それに対してBさんは、「ほかの人は簡単でも私にはそんな能力が無いから無理だよ。関わらないでおこうか、黙っていれば、誰かがやってくれるかも」と考えました。

Cさんは、「あいつらが悪いんだよ、あいつらのせいで自分たちまで問題を抱えてしまったんだ。あいつらを何とかしなきゃ!」と考えます。

Dさんは、「あ~あ! みんな自分の事ばかり考えているね、私も能力ないけど、みんなも同じだね。もう終わりだぁ」と言いました。

もうお分かりでしょう。Aさんは①タイプ。Bさんは②タイプ。Cさんは③タイプ。そしてDさんは④タイプです。

 

①自分は愛されるに値する人間だと思い、同時に周囲も愛し、信頼するに値する人間であると考えてます。自他ともにOKの立場です。

※ 仕事で上司に叱られた。これを糧に努力していこう。

カウンセリング的にみると、自己受容出来、かつ他者受容も出来ている理想的なタイプです。人間としても理想的です。自己受容は100%しなければならないものではありません。とりあえず6割を目指しましょう。

 

 

②自分はダメ人間だ。さらに価値の低い人間である。だから他人の言うことに従って生きよう。対人恐怖になりやすいタイプです。自分はOKではないが、他人はOK。

※ 仕事で上司に叱られた。やっぱり自分はダメだ。

「私だけがダメ」と言う自己像になる人は、例えば両親が厳しくて、褒めてもらった経験のない人です。昨日も例に挙げましたが、90点取ったら褒められるどころか、「どこ間違ったの?」と、追及されます。

 

ならば100点なら良いのか? 100点の答案を見せ、今度は褒められると思いきや、「クラスの平均は何点だったの?」と聞かれます。「みんな100点だった」と正直に言うと、「それじゃ何にもならないじゃない!」と、そこでまた叱られるのです。この手の親の中には、「褒めて育てると、傲慢な子供になる」と言う誤った信念の持ち主もいるようです。

 

③強い自己愛を持つ人です。時に自分に起きた問題を他人のせいにしてしまったり、わがままなふるまいになる時もあります。自分はOK、他人はOK

※ 仕事で上司に叱られた。こんなことで叱るなんて、なんて器の小さい上司なんだろう。

カウンセリング的に見ると、この手のタイプは、深層心理においては「私はOK」ではないとされています。このタイプは他人を否定することで、自分を無意識に肯定しようとしているのです。

「私もダメだが、少なくともあの人ほどではない」と考え、安心を得ようとしているのです。

 

④自分に愛される価値はないが、他人も同じである。人生は不毛と絶望に満ちていると考えます。自分も他人もOKではない。

※ 仕事で上司に叱られた。 もうすべてが終わりだ。

カウンセリング的に言うと、「みんなで死にましょう」と言うことになります。無気力、無関心、無感動、諦め、八方ふさがり、負け組、無為に時間が過ぎ、焦りばかりが募る、と言う状態でしょうか。

 

先ほどの「褒める」話ですが、そもそも日本の親は子供を褒めるのか絶対的に少なすぎます。子供はおおむね外ではけなされています。だからせめて母親くらいは褒めてあげて欲しいのです。むしろ褒めすぎるくらいがちょうど良いのです。

もちろん中には「自惚れ屋」もいます。けれどこういう出過ぎた人を引っ込めるのは簡単です。それより引っ込んだ人を引っ張り上げる方がはるかに労力を使うのです。

目安ですが、4回褒めて1回叱るくらいがちょうど良いかもしれません。

 

参考・・・「ギスギスした人間関係をまあるくする心理学」、「安食先生講義」より