仲間のカウンセリング・・① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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今日から話題が変わります。一応4月23日付「出会いのエンカウンター」の続きと言う位置づけなんですが、前回の記事をご存じなくても、賢明な読者なら理解できると思います。

簡単に前回の記事をおさらいいたします。前回は「エンカウンター」について説明していました。

「エンカウンター」とは、出会いを作り出していく仕組みの一つです。具体的には仲間とともに課題をこなし、エクササイズを楽しむことによって、仲間を知り、己を知り、さらに過去や未来の自分にも出会うのです。

このような要素のほかに、エンカウンターには重要な役割があります。

 

 

それは「予防的、開発的カウンセリング」と言う意味付けです。なんだか良くわかりませんね。様々に考えられたエクササイズは、言ってみればこれから私たちが実際に出会うであろう困難や煩悶の縮図でもあります。エンカウンターでこうした疑似体験を積むことで、実際の困難に対してもあわてず焦らず、対処することも可能になってきます。

つまり、「このような問題が起きるかもしれない」と言うものを先取りし、体験することで、実際の場に及んでもさほど困ったり傷ついたりしないよう、予防線を張ることが出来るのですね。だから「予防的、開発的カウンセリング」と言う言い方もできるのです。

 

これに対して「臨床的カウンセリング」と呼ばれるものがあります。何やら特殊なカウンセリングのようですが、実際はカウンセラーがクライアントに対して行う、ごく平均的なカウンセリングの事なんです。つまり、クライアントと呼ばれる悩みを抱えた人がカウンセラーのもとを訪れて、話を聴いてもらったり、時にアドバイスを受けたりするわけですね。

ただし、こうした「患者に手を差し伸べる」タイプの臨床的カウンセリングには、実は二通りのものがあるのです。

さて、皆さんは「相談」と言う言葉から、どのようなイメージを持たれるでしょうか。

おそらく多くの人が、何か専門的な知識を持った偉い人から、教えを乞うこと、あるいはアドバイスや指示をもらうこと。と考えているような気がします。

 

 

半分正解です。たとえば美容カウンセリングでは、化粧品や肌質に詳しい専門員が、お客様の肌の悩みを聞いて、「こんな風にしたらよいですよ」と言う風なアドバイを差し上げたりします。また、お医者さんと患者の関係もそうですね。私たちは病気になった時専門のお医者さんに診てもらって、薬をもらったりしかるべき処置をしてもらったりするのです。

しかしこうした関係は、厳密にいうとカウンセリングではありません。

これは「コンサルティング」と言うものです。コンサルティングとは、問題解決思考の相談を指します。その目的は肌のトラブル解消であったり、病気の治療であったりします。私たちは問題解決を求めて専門の知識を持った方のもとを訪れるのです。つまり、専門の知識を持った方々は、クライアントに何らかの解決策や答えを提供することが求められているのです。

 

いわゆる「人生相談」なども、広い意味ではコンサルティングに入るでしょう。例えば『子供が学校に行かなくなった』とか「夫婦仲が悪くなってしまった」・・どうしたらよいでしょう? と、相談員にお伺いを立てるものです。当然クライアントは解決策を要求していますので、相談員は助言や診断などで、それにこたえる義務があるのです。

一方、狭い意味でのカウンセリングは、「人生相談」と似て非なるものなんです。

そもそも必ずしも、「問題解決」を前提にしていないのです。いいえ、問題解決したところで、クライアントの苦悩や不安がなくなるものでもないのです。

なぜなら、そこには「主観」と呼ばれる「内的事実」が存在しているからです。「主観」の問題にはアドバイスはは時に逆効果になります。このあたりの事は次回に深めていきましょう。

 

参考・・・「カウンセリング研修講座」、「カウンセリング入門」