出会いのエンカウンターG③ | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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昨日も触れましたが、ロジャースの創設した原型に近い「非構成的エンカウンターグループ」は、現在はほとんど行われていません。ごく一部で「マイクロラボラトリートレーニング」と称して、ロジャースのやり方をさらに組織的なものにして、行っているところがあるらしいです。

「非構成的エンカウンターグループ」は、本音を出すきっかけとして、大変有意義なものですが、すべて参加者に任せられているので、なかなか進まない、時に感情的なぶつかり合いになるので、却って傷ついてしまう人も現れてしまいます。そこで「非構成的」の良さを保ったままで、もっと簡単に心が近づく方法はないかと考えられたのが、「構成的エンカウンターグループ」と言われるものです。

 

 

これには昨日も触れたように、「進行役」が加わります。ファシリテーターと言うのですが、単に司会進行に留まらず、参加者に様々な課題やエクササイズを出し、それを通して自己開示を推進していくのです。「自己開示」とは、要するに『自分はこういう人間です。皆さんよろしくお願いします』と言うことですね。人と人とが仲良くなるには、まず自分の心をオープンにする必要があるのです。

しかし、これだけでは片手落ちです。自己開示した人を「近しい存在だ」とか「親しめる人だ」と認識するには、その人を受け入れる必要があります。つまり自己開示した人を、、「ああ、とてもいい人だなぁ、お付き合いしたいなぁ」と、周りが感じる必要があります。これを「他者受容」と言います。相手を肯定的に受け入れることですね。

 

人と人との距離が近づき、お互いを受け入れるようになるためには、お互いに「自己開示」をし、それをお互いが「他者受容」していくことに尽きると思います。どちらかが欠けても成り立たなくなります。

両者そろって初めてお互いの脳内に「オキシトシン」が分泌され、お互いの距離が急速に近づくのですね。

また「自己開示」することで、人は周りの人の「信頼感」を勝ち取ることが出来ます。それを「ジョハリの窓」(下図)で説明しましょう。

 

 

「ジョハリの窓」を簡単に説明すると、人は誰でも心の中に「四つの部屋」を持っていると説明されます。

一つが『自分も他人も知っている』(公開されている自己)部分、次が『自分は知っているが、他人は知らない』(隠れている自己)部分、そして『自分は知らないが、他人は知っている』(他人が知っている自己)部分、もう一つが『自分も他人も知らない』(未知の自己)部分です。

「自己開示」をすると信頼感が得られるというのは、ほかならぬ『自分も他人も知っている部分』を大きくすることであり、ここの面積が大きいほど、深い人間関係を構築できることになるのです。

もう少し詳しく見ていきましょうか。

 

『自分も他人も知っている窓』は、例えば名前、性別、役職などの情報、顔立ちとか背の高さなどの容姿に関するもの、

さらに「明るい人」、「面白い人」と言った性格的なものも含まれる場合があります。

『自分は知っているが、他人は知らない窓』は、要するに秘密にしている部分です。これは「自己開示」することによって秘密は少なくなります。

問題は『自分は知らないが、他人は知っている窓』です。たとえば後姿がそれにあたります。自分の後姿は自分ではわかりませんよね。でも周りの人にはしっかり見られています。

自分の言動が周りの人にどのように映っているのか、どのような影響があるのか、まったく無頓着の人がいます。

中々売り上げの伸びない営業社員の部下に、「何? 一台も売れないのだと! 馬鹿野郎! 売れるまで帰ってくんな!」と怒鳴る上司がいます。

 

 

本人は「俺の若いころは、こうして根性鍛えられたもんだ」とうそぶいていますが、こんなことを今の若い部下にやっても百害あって一利なしです。こういう上司は部下のブーイングさえも、聴く耳持たないでしょう。

まさに『自分で自分をわかっていない』 = 『自分は知らないが、他人は知っている窓』ですよね。

 

ちょっと余談ですが、「子育てに参加しない亭主を、子育てに参加させる方法」を伝授いたしましょう。

簡単です。「うちの子、あなたにそっくり!!」と言えば良いんです。たとえ顔は似ていなくても、「後ろ姿、そっくり!」、「歩き方なんて、瓜二つよね」なんて言われれば、「そ、そうかぁ?」などとまんざらでもなくなります。

人は自分と共通点があればあるほど、親しく感じられるようになります。なあに、どうせ亭主に自分の後姿とか歩き方なんか、自分でわかるはずないんです。だからばれる心配はありません(笑)。

 

もう一つ気を付けて欲しいのが『自分も知らないが、他人も知らない窓』です。例えば自分の弱点とか欠点、劣等感のようなものを抑圧している人がいます。大概無意識の奥底にしまい込んでいますから、本人も気づきませんし、ましてや他人が気づく由もありません。

こういう人は幼いころから自分の気持ち出さず、いつも他人に気遣い、他人を優先して生きてきました。自分がしたいことでも「私さえ我慢すれば、うまくいくんだ」と、常に自分を押し殺して生きてきました。

月並みな言葉で言うと、「いい子」ちゃん達。あるいは「ニコニコ仮面」を付けた子供たち。

こういう人(子供)たちは、心の中に「もう一人の自分」を育てています。もちろん本人は知る由もありませんよ。その名は「シャドー」と言います。

シャドーは、『自分も他人も知らない窓』に住み着き、復讐の時を待っているのです。怖いですねぇ。

 

参考・・・「エンカウンター」、「自己受容」