関係念慮で、集中できず | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

現在の私の悩みは、関係念慮、対人恐怖、緊張からのパニックです。特に関係念慮が苦しいです。例えば職場で女性の先輩たちが話しているのを見ると、自分のことを言われているようで心が沈みます。また、何か細かい作業をしているときは、頭の中が自動的に関係念慮状態になっているようで、例えばパソコン作業をしていると、周囲の話す単語だけが耳に入ってきて、関係念慮が始まります。そうなるともう作業に集中できなくなります。

焦燥感に駆られ、ミスも増え、落ち込むことも少なくありません。また、ここから立ち直るのにも時間がかかります。

何か良い解決方法はあるでしょうか。

 

 

関係念慮とは、「周囲の人の言動が自分に関係しているかのように感じてしまう」さらにその内容はしばしば「被害的なもの」とされています。これは普通の人にもあり得るようになものから、明らかに病的なものまで段階があるようです。

つまり、普通の人でもある状況になった時には、経験することがあってもおかしくないのです。繰り返される考え方の癖のようなものから、明らかに妄想的なものまであります。

普通の人の場合、こんな例が挙げられるでしょうか。

ある奥さんが夕べ、ご近所中に聞こえるほどの、夫婦げんかをしました。翌朝ゴミ出しに行ったところ、ご近所さんたちが立ち話をしていました。バツが悪いながらも挨拶したところ、ご近所さんは急に立ち話をやめてしまいました。

 

こんな場合、「ひょっとして、自分たち夫婦の事を話していたのでは?」と不安になりますよね。このようなことは皆さんも経験があると思うんです。この場合、思考の中に、「ひょっとして」あるいは「もしかして」があるかどうかが、大切なポイントなのです。

「ひょっとして、自分の考えすぎかな?」

と言う風にも考えられるかどうかと言うことなんです。

では、この「ひょっとして」がありながらも、そう考えてもおかしくない状況があまりはっきりしていないのに、頻繁に被害的に考えて落ち込んでしまったり、仕事にも影響が出てしまったり、要するに一つの「考え方の癖」になっている場合、(あなたの場合はどうもここに入るようです)

どのように考えて行ったらよいのでしょうか。

 

 

まず大切なのは、そう考え始めた場合、つまり、周囲の人の言動を自分に被害的に関係づけが始まった場合、

「あ、また自分は過敏に考え始めているかな?」

「また自分の考え方の癖が出始めているのかな?」

と言う風に思えることがとりあえずの第一歩です。

このことは一見難しいように思えますが、もう一方で常に「ひょっとして」と考えられる人であれば、比較的容易にできるでしょう。

そうです。すでにあなたの心の中には、そういう考え方のベースが出来上がっているのです。

そう自覚できましたら、『自分の関係づけて考える』考えはそのまま自分の心の中に置きっぱなしにしておくことです。すっきりしたいために、

「ああでもない」、「こうでもない」と考え続けたり、関係念慮に従った行動をしないことです。

 

次に、そう考えてしまったとき苦しくなったり、仕事に影響が出てしまったりすることは、あるかもしれませんが、出来るだけ湧いてくる関係念慮はそのままにして、そっと目の前の仕事に注意を戻し、かつ丁寧に正確にと心がけながら、仕事を遂行していくことです。

すると、その時自分を悪く言っていたのではないかと思っていた当人が、思わぬ親切な言葉をかけてきたり、やさしく振る舞ってくれたりするのを経験することがあります。

その時はじめて、自分の考えていたことが「ひとり相撲」にすぎなかったことを知り、さらに自分にはそういう「考え方の癖」があるんだ、とさらにしっかり自覚できるのです。

これを繰り返していくことにより、長年の考え方の癖は少しずつ修正されていくのですね。

 

参考・・・「生活の発見会 アラフォーのお悩み相談」