現在の私の悩みは、関係念慮、対人恐怖、緊張からのパニックです。特に関係念慮が苦しいです。例えば職場で女性の先輩たちが話しているのを見ると、自分のことを言われているようで心が沈みます。また、何か細かい作業をしているときは、頭の中が自動的に関係念慮状態になっているようで、例えばパソコン作業をしていると、周囲の話す単語だけが耳に入ってきて、関係念慮が始まります。そうなるともう作業に集中できなくなります。
焦燥感に駆られ、ミスも増え、落ち込むことも少なくありません。また、ここから立ち直るのにも時間がかかります。
何か良い解決方法はあるでしょうか。
関係念慮とは、「周囲の人の言動が自分に関係しているかのように感じてしまう」さらにその内容はしばしば「被害的なもの」とされています。これは普通の人にもあり得るようになものから、明らかに病的なものまで段階があるようです。
つまり、普通の人でもある状況になった時には、経験することがあってもおかしくないのです。繰り返される考え方の癖のようなものから、明らかに妄想的なものまであります。
普通の人の場合、こんな例が挙げられるでしょうか。
ある奥さんが夕べ、ご近所中に聞こえるほどの、夫婦げんかをしました。翌朝ゴミ出しに行ったところ、ご近所さんたちが立ち話をしていました。バツが悪いながらも挨拶したところ、ご近所さんは急に立ち話をやめてしまいました。
こんな場合、「ひょっとして、自分たち夫婦の事を話していたのでは?」と不安になりますよね。このようなことは皆さんも経験があると思うんです。この場合、思考の中に、「ひょっとして」あるいは「もしかして」があるかどうかが、大切なポイントなのです。
「ひょっとして、自分の考えすぎかな?」
と言う風にも考えられるかどうかと言うことなんです。
では、この「ひょっとして」がありながらも、そう考えてもおかしくない状況があまりはっきりしていないのに、頻繁に被害的に考えて落ち込んでしまったり、仕事にも影響が出てしまったり、要するに一つの「考え方の癖」になっている場合、(あなたの場合はどうもここに入るようです)
どのように考えて行ったらよいのでしょうか。
まず大切なのは、そう考え始めた場合、つまり、周囲の人の言動を自分に被害的に関係づけが始まった場合、
「あ、また自分は過敏に考え始めているかな?」
「また自分の考え方の癖が出始めているのかな?」
と言う風に思えることがとりあえずの第一歩です。
このことは一見難しいように思えますが、もう一方で常に「ひょっとして」と考えられる人であれば、比較的容易にできるでしょう。
そうです。すでにあなたの心の中には、そういう考え方のベースが出来上がっているのです。
そう自覚できましたら、『自分の関係づけて考える』考えはそのまま自分の心の中に置きっぱなしにしておくことです。すっきりしたいために、
「ああでもない」、「こうでもない」と考え続けたり、関係念慮に従った行動をしないことです。
次に、そう考えてしまったとき苦しくなったり、仕事に影響が出てしまったりすることは、あるかもしれませんが、出来るだけ湧いてくる関係念慮はそのままにして、そっと目の前の仕事に注意を戻し、かつ丁寧に正確にと心がけながら、仕事を遂行していくことです。
すると、その時自分を悪く言っていたのではないかと思っていた当人が、思わぬ親切な言葉をかけてきたり、やさしく振る舞ってくれたりするのを経験することがあります。
その時はじめて、自分の考えていたことが「ひとり相撲」にすぎなかったことを知り、さらに自分にはそういう「考え方の癖」があるんだ、とさらにしっかり自覚できるのです。
これを繰り返していくことにより、長年の考え方の癖は少しずつ修正されていくのですね。
参考・・・「生活の発見会 アラフォーのお悩み相談」