家族を失いながら、家族を支える | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

小さいころから、神経症をはじめとした生きづらさを抱えてきました。その後結婚し、悩みながらも順調な毎日でした。しかし10年ほど前に息子を、その半年後に主人を亡くしました。さらに娘が原因不明のめまいを発症し、寝たり起きたりの生活になりました。娘夫婦は、仲もあまりよくないようです。近くなので、私が家事や、孫たちの世話をしています。

こんな八方ふさがりの状況の中、私がしっかりして孫や娘を支えなければ、と思ってしまいます。

対人関係に疲れ、理想の自分とかけ離れた現実の自分を認めざるを得ず、抑うつ状態になり、薬をたくさん飲んでいます。

 

 

壮絶な体験をされましたね。それを乗り越えて今があることに、強く胸を打たれました。症状を持ちながらも、いろいろと行動をされてきたようです。

私たち神経質は、向上欲も強く、真面目で粘り強いところがあります。若いころから神経質症状がありながらも、順調な毎日だと書かれていますが、本当はつらい毎日ではなかったのでしょうか。

しかし10年ほど前、最愛の息子さんとご主人を相次いで亡くされました。さぞ苦しく辛い、身を削るような悲しみの中で、過ごされてきたと思うと、言葉もありません。

さらにお孫さんや娘さんの面倒も見なくてはいけないという事情が重なり、全力で頑張ってこられたんですね。きっとお孫さんや娘さんは、どんなにあなたを頼もしく思ったことでしょう。

 

お孫さんが幼稚園に入り、少しはご自分の時間が持てたということですね。きっとご自身の生き方を考えておられるのでしょう。

いろいろな講座に参加しつつも、対人関係でなかなか続かないのも、「明るく元気な自分でありたい」、と言う「かくあるべし」にとらわれているのかもしれません。

現実の自分を理想の自分に当てはめようとすれば、そのことが「生きる目的」になってしまい、悩みを深めてしまいます。

思うようにならない自分や他人を認め、「理想の自分」を少しだけ緩めて、一歩踏み出してみましょう。まだ60代。これからの時間はたっぷりあります。趣味や楽しみの選択肢も無限にあります。焦る必要はありません。

 

 

「日日是好日」と言う言葉があります。

これは「雨の日は雨の音を聴き、晴れの日はおひさまの温かさを、夏は厳しい暑さの中で、冬は身の切れるような寒さを味わう・・。

楽しい日でも辛い日でも、一日一日をありのままに精一杯生きる。」

と言う意味だそうです。森田先生はこの言葉について説明された時、「希望のひらめきこそ、日日是好日なのである」と、結ばれています。

現在相談者の方は、抑うつ感が強い時と、比較的心が流れる元気な時を繰り返しているそうですが、森田療法では、「心の自然治癒力を引き出す」ことに着目しています。

あるがままの自分を受け入れ、「出来ないこと」はそのままにし、身体の調子を見ながら、「出来ること」にも手を付けていきましょう。

 

今は出来なくてもあせらずに、回復を信じて待つことも大切です。

相談者が「八方ふさがり」と表現された困難な状況を必死で乗り越え、娘さんご家族との現在があるのは、ご自身の尊い努力と、献身ゆえの結果であることを、忘れないでくださいね。

若いころからの前向きな生き方をたどっていけば、これからも相談者は自ら自分らしい人生を切り開いていけるものと、私は信じています。

 

参考・・・「生活の発見会 お悩み相談室」