感情を再体験する事 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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自分を許す、他人を許す、どちらの場合においても、乗り越えなければならない壁があります。それが「感情に向き合う」、あるいは「感情を再体験」することなのです。

自分を許す場合は、加害者としての自分、他人を許す場合は被害者としての自分になるわけですが、どちらの場合においても、そこには様々な感情が見え隠れしています。もちろん中心にあるのは罪の意識や恥の意識かもしれませんが、そのほかにも怒りや不安、怖れや恨みと言った感情も内包されています。どんな感情であっても大切なことは、それを徹底的に味わい、感じることです。感じないものは癒しようがないのです。

 

 

感情と考えが結びついたものを仮に「気持ち」としましょう。「気持ち」を変えるために、認知行動療法や話し合い療法などのセラピーが使われますが、私たちの「考え」は、感情にぴったり張り付いていますので、「考え」だけを変えても、「気持ち」を変えることは困難です。感情から「考え」を切り離して、別の「考え」と結びつけるためには、どうしても感情を再体験する必要があるのです。

話は脱線しますが、森田療法における「恐怖突入」も、感情の再体験がどうしても必要です。ですのでなるべく実際に抱く激しい感情と同等の、激しい感情を再現しなければならないのです。「恐怖突入」については、後半で再度触れます。

 

感情には様々なものがあります。楽しい感情なら何度でも再体験したくなります。ところが治療や「許し」の場合に再体験する必要があるのは「否定的な感情」である場合がほとんどです。

こんな時助けになる考え方があります。それは「私たちの感情の中に、否定的なものは何一つない」と言うものです。そんな馬鹿な! とお思いでしょう。けれど例えば罪悪感や羞恥心、怒り、悲しみ、恨みなどは、だれでも折に触れて抱く当たり前の種類の感情です。言い換えれば人間としてごく正常な感情です。

これらに「否定的」と言うレッテルを張っているのは、私たちです。「否定的」と言うレッテルを張ると、どうしても「肯定的に考えなければならない」と言う風に悩んだり、否定感情を追い払おうとあがく羽目になります。

 

 

このように人間的な感情を悪者扱いしたり、抑圧しようとして抵抗を始めると、それがストレスになり、心の病になってしまう場合もあります。

あるいは逃げ道を作って、否定的と思われる感情から遠ざかろうとする人もいます。自分がスピリチュアルな存在だと思っている人は、瞑想』などの手段で、感情を追い出そうとします。

そもそも人は、自分の気持ちを感じるようにできています。自分の中の気持ちや感情を、徹底的に体験したいのです。感情を裁いたり、評価したり、分析したりすることを、望んではいないのです。

気持ちを抑圧すると、私たちのスピリチュアルは、気持ちや感情と向き合わざるを得ない状況を作り出してしまいます。強烈で激しい気持ちを体験するのは、ある意味チャンスです。

 

そういう意味で「自分を許す」、「人を許す」と言う行為は、相手のためになるばかりでなく、自分も自身の感情と向き合い、再体験することで、気持ちのわだかまりを解消することができます。「許す」行為だけでなく、心を動揺させる状況が生じるのは、それ自体は歓迎できないものかもしれませんが、自分の気持ちを適切に感じるために、魂や大いなる力がチャンスを与えてくれたと考えてみるのです。

ですのでそれに身をゆだね、素直な感情を味わい、抱き、受け入れることで、エネルギーが体に充満するのを感じることができるのです。

 

 

さて、ここで「恐怖突入」について、もう一度考えてみます。なぜ、実際の場面と同じ激しい感情(ここでは不安とか恐怖)を、再体験する必要があるのでしょうか。

それは例えば乗り物恐怖で説明しますと、彼らはなかなか止まらない電車(快速とか急行)に乗ってしまうと、もしそこで気持ちが悪くなったり発作が起きたりすると、次の駅まで何もできなくなってしまいます。そのことが「ここで死ぬのではないか」と言う風なものすごい恐怖になって、各駅しか乗れなくなったり、ひどい場合には、駅にすらいけなくなってしまいます。

このような患者に対し、認知行動療法では、例えば駅に行くだけ行って戻ってみたり、とりあえず一駅だけ乗ってみるという風な「練習」をさせます。

 

もちろん、何もしないよりは良いのですが、これで治る人はまれです。なぜならあくまでも「練習」なので、本番さながらの恐怖にまで達しないのです。これでは恐怖突入の意味がありません。

患者は満員電車で降りられない状況の中で、「今にも死ぬのではないか、助けてくれ!」と言う言語を絶する恐怖を体験しているのです。ですので無意識のうちに「症状があるから電車に乗れない」というストーリーを作り出しているのです。

 

これを打破するには、同等の恐怖を再体験させて、それでも何とか乗ることができた。と言う成功体験をさせることが肝要なんです。

つまり、患者の持つ「恐怖と不安」 = 「電車に乗れない」と言うストーリーを壊して新たに「恐怖と不安」 = 「電車に乗れた」と言うストーリーに変えてあげること、つまり新たなストーリーを作ることで、症状に新しい意味付けを付与することに他ならないのです。

恐怖や不安があっても電車に乗れる。もちろん時に挫折することもあるでしょうが、いったん修正されたストーリーはその後良循環を繰り返しながら、少しずつ患者の自信となっていくのです。

 

参考・・・『自分を許すということ』