しくじりの対処? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

世の中に『心配性』の人は少なくないようです。

かく言う私もそうですし、私もお仲間で在る神経質者の殆どは、心配性で取り越し苦労しやすい傾向だといえると思います。心配性の人は、完全欲が強い事も知られています。『絶対安全である』と言う保証が得られないと、一億分の一の危険でさえも、不安を感じてしまうのです。

確かに理屈ではゼロではありませんが、大方の人はむしろ一億分の九千九百九十九万九千九百九十九の安全の方に重きをおいて生活しているのです。これが『常識』といえるかもしれませんね。

 

 

さて、そんな『心配性』にもメリットはあります。普通の人が考えもつかないような些細な危険の種を発見し、さらにあらゆるアクシデントを想定して最善策を練る事が出来るのです。そのおかげで大きな失敗を免れている面も、大いにあると思うのです。

ただ、根っこに『完璧主義』が張り付いているので、どのような場合でも、『あらゆるアクシデントを想定し、最善策を練る』ことが、習慣づいているというか、癖になっているのです。彼らはこういう考え方をしないと、逆に不安を感じてしまうのです。

 

けれど実際の生活のうえでは、何でもかんでも難しく考える必要は無いし、何でもかんでもきっちりやる事が『最善策』と言うわけでもありません。失敗しても大した事で無い場合も、大いにありますよね。

例えば『約束の時間を守る』事は人間関係を維持する上では重要ですよね。例えば仕事などで、お得意先と難しい交渉に挑まなくてはならないときは、絶対に遅刻は許されません。

けれど気の置けない友人や、家族との待ち合わせの場合なら、五分やそこいら遅れたところで、問題は無いでしょう。

勿論遅れるのがはっきりした時点で、一報を入れるのが人間関係におけるマナーと言うものでしょう。それは家族もお得意先も同じです。

 

『心配性』の人は、必要以上に失敗を恐れます。特に対人恐怖傾向の人は、失敗した事で、自分が責められる、また失敗に伴って不利益を蒙る事が怖いと言われています。また失敗によって自分が笑いものになる、さらし者になる、後ろ指を指されることが耐えられないという人も少なくないですね。

さて、失敗を恐れる人は、どうしても生き方が窮屈になります。

『まずこれを用意して・・・それからアレをやってコレをやって、・・・いやまてよ・・・事前準備にこれもあった方が良いかなぁ・・・他にもやるべき事を忘れていないだろうなぁ・・・』

 

 

こんな感じで、延々と『ぐるぐる思考』を続けたりします。神経質の特徴ですね。なんでもきっちり考えないと気が済まないのです。酷い場合は、気が済むのが目的で、失敗しても無頓着な場合もあるのです。いったい何のための取り越し苦労なのでしょうか?

過剰に失敗を恐れる人は、失敗した時のイメージを膨らませすぎるから、逆に自由が利かなくなっているのではないでしょうか。

失敗を恐れすぎる余り、自分の本領を発揮できる余裕さえ失っているのです。『宝の持ち腐れ』です。ああ、もったいない!

 

一報、余り心配しない人たち、われわれ神経質人間から見ると、『超前向き人間』と呼ばれる人たち。

彼らもまた、失敗しないように気をつけてはいます。しかし失敗した時のイメージよりも、成功した時のイメージを強く頭に描いていると言われています。

ある意味『楽天的』とも取れるかもしれません。神経質者から見ると、なんと『お気楽』、『無責任』、『雑』な人たちなんでしょう(笑)!

楽天的なこの人たちは心の奥では、

『失敗したって、どうにかなるさ』

と言う想いがあるのかもしれません。多くの経験から来るある種の自信かもしれません。

 

あるいは成功を積み重ねてきた自信よりも、失敗した後の対処をきちんと為し得てきたこと、それが大きな自信になっているのかもしれません。

彼らにとって失敗は『大した事』ではありません。

『転んだって、躓いたって大丈夫。また立ち上がればよい』

と言う潜在的な自信があります。だから失敗にびびらないのです。

自転車に初めて乗る時は、転びそうで怖くてたまりません。

しかし何度も転ぶうちに、

『何だ、転んだってこの程度か、大した事は無いな。』

と思えれば、引けていた腰が少しは前に出るでしょう。つまり、転んだことを失敗と考えるか、成功に至る過程と考えるかが大切なところであり、失敗の対処法さえ身につけておけば、失敗を必要以上に恐れることも無くなるはずです。

 

参考・・・『なぜか人に好かれる人』、『あなたに会うとほっとする』