南木氏は幼い頃に、母親を亡くすと言う喪失体験をしています。
この事がパニック障害から『うつ』へと落ち込み、死の誘惑に駆られてしまった一つの要因だろうと思われます。
幸い彼の主治医になった診療内科医のおかげで軽快しましたが、特別な精神療法を受けたという記載はありませんでした。
けれどここで述べられている回復のプロセスは、結局自身の症状のコントロールをやめ、自分の弱い姿をありのままにさらけ出し、その時に出来る事をそれなりにやっていくしかない、と言う深い洞察なしには、起こりえなかったものと思われます。
この回復過程は、森田療法のそれと共通しています。それはその人の人生の対する『諦め』とともに、限られた自分で生きるしかないという、認識から成り立ちます。実際に南木氏は、長いトンネルの向こうに、今までと違った質の光が見え始めたと感じた頃から、自己を救済する手段として、自己開示の物語を書き出しました。
それら自分を癒すために書いた小説が、評論家の間で褒められることも多くなったと言います。信州で書かれたエッセイは、人生に対する深い悲しみと、慈しみを私たちに感じさせてくれます。
彼が病から回復するという事は、決して病気になる前に戻ることではありません。ある意味では今までとまったく異なった認識、価値観による生き方に変更されるということなんです。
彼の回復を一般化して書き出しますと、次のようになります。
①人生の行き詰まりから、『うつ』になります。
②なんとかしなければと足掻き、逆に『うつ』の悪循環に飲み込まれていきます。
③どん底体験
④『出来ないこと』を明らかにし、諦め、受容します。ここから新しい回復のプロセスが始まります。
私たちの苦悩は、人生の転換、変化、喪失などからもたらされ、それを事実として受け入れることから、人生の再建、回復が始まります。わたしたちは『失う』事に対し、ただ手をこまねいているだけではないのですね。
失うこと、行き詰ること、
ここから新しい生き方、新しい世界との関わり方を構築できるのです。ここからその人オリジナルの生き方が見えてくるのです。
私たちは『失う』事をしっかりと受け止めていければ、それは必ず『獲得』することをもたらす、と考えます。
そして、その事がまさに、その人の成長、成熟を約束してくれるのです。
『喪の仕事』について書いたフロイトは、『対象喪失』と愛について、こんな風に述べています。
・・大切な他者は愛着の対象である。それを喪失することで、私たちは愛着を捉え直さざるを得なくなる。自分が多くを分かち合い、愛も憎しみも含め、多くのエネルギーを投じてきた相手と自分の関係を捉えなおし、エネルギーを心のうちに納めていきます。これが『喪の仕事』に相当するわけだが、これは同時に心の中で『対象喪失』が起きている。
つまり、愛着が拒まれる事態なのであるが、それは愛そのものの否定ではないことを納得する事が出来れば、新たな対象に愛を向けていく事も出来るようになる。
これが出来てこないと、現実に対して関心が持てず、人間関係を避け、内にこもるようになってしまう。これは鬱状態とも言える。
この事態を打開するには、『喪の仕事』が有効に行われ、新たな愛着と関心を持って他者に、あるいは世界にエネルギーを向けていく事が出来るようにならなくてはいけない。・・
フロイトは自分の父が死に、心がふさいで苦しんだ時期がありました。だが、その苦しみのなかから、精神分析と言う、新しい思想が生み出される事になるのです。
愛の対象が失われること。自分が大切にしていた世界が失われること。これが『喪失』です。
理解しやすいように、"死んだ人は、まったく居なくなってしまうのか"、と言うことを考えてみます。
死んでしまった人は、残された人にとってある意味非常にリアルに存在しています。死者は生きているものに対し、語りかけてくることもあるし、自分の気持ちが何時も死者に向かっているような気がします。
なので『死んだ人は居ない』とは、中々言えないものです。
でも、死者が現実にこちらに働きかけてくる事はありません。心にとっては『居る』にもかかわらず、現実には『居ない』と言う、この矛盾と葛藤を受け入れ、認識していくのが『喪の仕事』と言うことの意味合いです。
現実には『居ない』
だが心の中には『居続けている』。
そういう他者とのかかわりが問い直される事になります。だからこそ『喪の仕事』と言う、悲しみの作業が続くのですね。
『失ったものはどうにもならない』
辛くて悲しくて、とても受け入れられない状態かもしれませんが、私たちはいずれこの現実に向き合わなければなりません。
はらわたがちぎれるような葛藤が、あなたを襲うかもしれません。
けれど、どうすることもできません。何年掛かるか分かりませんが、私たちはその事実を受け入れざるを得なくなった時、往生できるのです。
そうして新しい自分を発見し、新しい生き方を手に入れる事が出来るのです。北西先生がこれまで述べてきた一連の回復過程は、かつてフロイトが同じような苦しみの中で考え出した『喪の仕事』と、どこかでつながっているような気がするのです。
私たちが生きていくこと。これほど大変な事は無いのですね。
参考・・・『喪(悲哀)とメランコリー』、『中年期うつと森田療法』