人生の四季 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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人の一生はよく季節に例えられます。

もっとも有名なのが、古来中国で考えられていた、次のものです。

青春

朱夏

白秋

玄冬

この四つの季節を順番にたどっていくのが、人生と言うもののようです。どこからどこまでかと言うのは、人によって異なるのかもしれませんね。

 

 

さて、本日紹介するのは、アメリカの心理学者レビンソンのものです。

彼もやはり人生を四つの季節に例えています。あえて『季節』と言う言い方をするのは、私たちの人生には一定の形があり、境目のはっきりしている一連の段階を経て、発展すると言う考え方があるためです。

春は生命の誕生、成長し育ってゆく時期です。人生に例えると児童期から青年期に当たるでしょうか。

夏は親などの保護を抜け、自分で強く成長して行く時期です。成人から壮年前期くらいでしょうか。

秋になれば光も和らぎ、時に寒ささえ感じます。豊かな自然の恵みを満喫できる時ですが、冬の厳しさを予感させる時期でもあります。壮年期から初老期あたりでしょうか。

 

そして冬が来ます。草木が枯れる時期ですが、それは再生のときでもあります。つまり、終わりの季節であると同時に、始まりの季節でもあるのです。ただし残念ながら私たちをめぐる人生の季節は、たった一回きりなんですね。

それぞれの季節は比較的安定しています。けれど季節から次の季節に移り変わる際に、過渡期を必要とするのです。レビンソンはアメリカ人のライフサイクルと生活パターンの関連から研究し、皆さんほぼ同じような時期に同じような変化が現れる事を見出したのです。

上記の図は、私たちのおおよその人生の区切りを知るために、アメリカ人対象ですが、彼の提示したライフサイクルの図を示したものです。

 

この図に示されているように、児童期と青年期は17歳までで、22歳までが過渡期になります。そして40までが成人期になります。

ここまでが人生の前半です。人生の前半は苦しい事もあるでしょうが、どちらかと言うと、人生の光の部分に焦点が当たっています。

40歳から45歳までが、中年への過渡期であり、60歳までが中年期です。この時期は私たちの人生のクライマックスとも言えるでしょう。なのでここからゆっくりと下降線をたどります。身体能力も劣ってきますが、私たちの心は秋の光のような柔らかく、かつ温かみのあるものに変わってきます。

 

 

中年期以降で大切なのは、光と影の部分の調和だと思います。それがもっとも大きな課題と言えそうです。ところが現実は、アンチエイジングとかで、光と影を対立させ、出来る限り影をなくそうとする試みが支持されているように思うのです。

生業をリタイアする人も増えてきます。なので今までよりもずっと、その人固有の行き方が求められる時期でもあります。ここでは愛のあり方とか、社会との関わり方とか、そしてもちろん自分自身の生き方などに、変化が求められるようになります。それはつまり、今まで生き方では行き詰ってしまいますよ。と言う警鐘でもあるんですね。それをしっかり受け止めて、今後の人生に活かして行く事で、豊かな中年期を送る事が約束されるのです。

 

そして60歳から65歳までの老年への過渡期を経て、豊かな老い(サクセスフル・エージング)へとつながってくるのですね。

上記の調査はアメリカ人で1922年から1934年までに生まれた男性のみを対称にし、1960年後半より行われました。

したがって当時は日本よりも長寿国であり、社会制度も異なる日本にそのまま当てはまるかどうかは分かりません。

しかしおおよそ中年期に人生の折り返し点があり、それ以前と以後では生き方の見直しや、価値観の転換などが求められてくると考えて、間違いは無いと思います。

 

参考・・・レビンソン『ライフサイクルの心理学』