さて、脚本の出来方のもう一つの特徴は、親の影響の元、自分と他人に関して、人生早期に身に着ける『基本的構え』のあり方のよって、方向付けられる事です。人生の早い時期に親との関係で基本的信頼感が育てられなかった場合、基本的構えの歪みが生じてしまいます。このようなゆがんだ条件付けをもつ人たちは、自分人生に対する誤った認識や判断に基づいて、自己実現を妨げ、結果社会不適応状態に陥らざるを得ないような人生脚本を、自ら形成する事になってしまうのです。
以前、ライフポジションについて、お話した事がありますね。創設者のエリックバーンは、このように説明します。
私たちは幼い頃に、それからの人生を過ごす自分とその周囲の人たちや、世間との関係、あるいはポジションによってある種の確信を持つ。それを人生の立場 = ライフポジション と言い、以下の四つがある。
①私はO<、あなたもOK。
②私はOKでない。あなたはOK。
③私はOK。あなたはOKでない。
④私はOKでない、あなたもOKでない。
私たちは各自、ライフポジションの一つに基礎を置き、自分や他者、
世間などに対してゆがんだ見方をしながら成長します。しかし私たちは24時間365日、一つのライフポジションにとどまっているわけでは在りません。
そう、私たちは刻々とライフポジションの中を、移動しているのです。
是を分析する方法をフランクリンアーンスト氏が案出し、『OK牧場』と命名しました。
アーンストによると、人が社会活動をする際、それぞれのポジションに示された意図通りの結末を引き起こすと言われています。
①一緒にやっていく。
・・この立場で人と接するとき、その人と『私もあなたもOK』と言う関係になるように振る舞います。
②~からの逃避
・・この立場から人と接するとき、その人と『私はOKでない、あなたはOK』と言う関係になるように振舞います。
③排除
・・の立場の人は、『私はOK,、あなたはOKでない』
と言う状況になるように行動します。
④行き止まり
この立場の人は、『私もあなたもOKでない』と言う結末に結びつきやすい行動や思考をするのです。
ちょっと余談です。
『OK牧場』と言うと、ガッツ石松氏を連想する方が多いようです。実際彼は事有るごとに『OK牧場』を連発していましたね。ただし彼がアーンストの説を知っていたかどうかは疑問です。たぶん知らなかったと思うんです。
彼の『OK牧場』は、言うまでもなくアメリカのホームドラマか、あるいは西部劇のタイトルからものでしょう。
一応言っておきますが、『OK牧場』と言う言葉を最初に使ったのは、アーンスト氏なんですよ。
では、『OK牧場』と、ガッツ氏は何の関係もないのかと言われれば、そうとも言い切れません。
ガッツ石松氏は、栃木のとある辺鄙な村に育ちました。父親が病弱で働けなかったので、母親が働き、一家を支えていました。勿論ガッツ氏も早いうちから働きに出されたそうです。
それでも極貧の生活で、雑草を食べたり、物乞いまで経験したと言われています。
しかしそんな環境でもガッツ氏を始め、兄弟たちは非行に走ったり、不登校になるよう事はありませんでした。
ガッツ氏によると、母親との信頼感が基本に有ったためだと述べています。母親はそれこそ眼の廻るような忙しさの中にいましたが、ガッツ氏を始め、子供の様子は絶えず気にかけてくれていました。人生脚本が歪曲しない大きな要因は、子供時代にちゃんと親に愛されてきたか? と言う事です。貧乏ながらも、親との信頼感はしっかり結ばれていたのですね。だから『私はOK、あなたもOK』と言うことで、『OK牧場』と、言い始めたのかもしれません。』
余談が長くなってしまいました。
先ほど述べたように、ライフポジションの基本は、その人が変わることを望まない限り、一生続きます。変わるためには、それに気づく事です。気づくことなく、ゆがんだ一生を送ってしまう人のなんと多いことか。以前紹介しましたが、こんな例があります。
施設で育った子供が養子として引き取られました。ある日、家族がその子を残して外出しました。ところが帰宅してみると、家のお金がなくなっていました。当然その子が疑われます。その子はしらを切りましたが、結局お金はその子の机の中から出てきました。当然父母はその子を叱りました。
そうして親達は、その子を『信用できない子供』としました。それを聞いたその子は"安心"したそうです。
施設に入るような子は大抵虐待を受けています。周りが信用できず、自分も信用出来ないのです。人に優しくされても信用できません。
そこで父母を試そうとして、お金をくすねてみたのです。結果、叱られました。叱られることで『ああ、やっぱり自分は信用されていないんだ』と、ライフポジションを確認し、安心するのですね。
次回から、ライフポジションごとに、ゆがんだ構えと脚本を見て行く事にいたしましょう。