自己受容した人・・① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

昨日の記事で、『無条件の自己受容』について触れました。勿論この言葉は森田用語ではありません。

いろいろなところで使われますが、もともと認知行動療法の一つである『マインドフルネス』で使われていた言葉だと聞いております。

これは森田で言う『あるがまま』そのものと言ってよいでしょう。

そう、『無条件の自己受容』とは、自分自身を『あるがまま』に認め、そして受け入れる事です。言うは簡単ですが、容易な事ではありませんよね。

 

 

星野富弘さんと言う、素敵な花の絵をお描きになる方がいらっしゃいます。私はこの方の絵は勿論ですが、文章や生き方に大変感銘を受けるのです。カレンダーとか絵葉書などで、皆さんもどこかで見た事があるかもしれません。

さて、ご存知だと思いますが、星野さんは前途ある体育教師としてある高校に赴任したのですが、そこで鉄棒から墜落すると言う事故に遭い、脊髄損傷してしまいました。脊髄損傷と言うのは、首から下が全部麻痺して、動かせなくなってしまうのです。

 

彼は当然、そうなってしまった自分の運命を酷く恨みました。母親との激しい葛藤も何度も生じました。そのあたりの事は彼自身がいろいろな本に書いてありますけれど、過酷な苦しみの果てに、

『こうなってしまったことを恨んでばかりいても仕方がない。今自分に出来る事をするしかないではないか』と言う思いにいたったそうです。

動かせるのは首から上だけです。口に絵筆をくわえて、最初は『あいうえお』から書き始めました。そして病室にあった花の絵を描き始めるようになりました。とても味わい深い素敵な絵ばかりですよね。

 

絵も勿論素敵ですが、彼の言葉もどれも心にしみるものばかりです。私が持っているカレンダーや詩集の中から、いくつか紹介しましょうね。

『悲しいときに悲しめる心を持っている。あふれ出る涙がある。何と言う慰めだろうか』

『川の向こうの紅葉がきれいだったので、行ってみた。

振り返ると、さっきまで居たところの方が、キレイだった。』

『辛い・・と言う字がある。もう少しで幸せになれそうな字である。』

『私にできることは小さな事。でもそれを感謝して出来たなら、きっと大きな事。』

ほのぼのとして花の絵と共に、私たちの心を癒してくれます。

 

 

こういうことを私たちは普段忘れているんだなぁ・・

と言う事を言葉にして表現してくれているように思います。人間とは何だろう・・人生とは何だろう・・どういう風に生きればよいのか・・そんなことをさりげない言葉で表してくれているように思います。

これは体育教師だった彼が、まったく動けない状態になってしまったと言う、本当にむごい状況の中で、悩みぬいて到達したのが、これらの境遇をあるがままに受け入れて、為すべき事をして行く努力の中で、掴み取った彼の生き方だと思います。

 

最後に、こんな彼の言葉を紹介いたします。

『・・有るとき、ふと気づいた。

動けない人間が、なぜ動けないことを恥じるのだろうか。

そう考えたら、今まで自分をがんじがらめにしていた鎖が、

フッと解けた気がした。』

素晴らしいですね。

星野さんは、人間として何が一番大切なものなのか、と言うことを身をもって示してくれるまさに魂の画家であると思うのです。