秋の夜長の”法話”? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

明日の記事より、地元で開かれた作家の五木寛之氏の講演内容を、お届けしようと思っています。

この講演はとある仏教の会の主催で行われましたので、講演に平行して秘仏のご開帳が行われました。仏様は阿弥陀如来像のようでした。

誰が製作したのが、どういう由来でここにいらしたのか良く分かっていないようですが、長く地元のご本尊として拝まれてきたようです。講演に先立って、主催の仏教会の代表者がこの『阿弥陀仏』についてのご法話をくださいました。その内容がとても味わい深いものでしたので、皆さんにもご紹介いたします。

 

皆様、本日はお暑い中、良くいらっしゃいました。

本日はご講演と平行しまして、当院の秘仏である『阿弥陀如来立像』を皆様のために特別にご開帳いたします。

皆様は、『阿弥陀如来』と言うと、どういう仏様だとお思いでしょうか?

・・阿弥陀如来の説明は省略します。・・

さて、皆様が良くご存知の『阿弥陀様』は、大抵お座りになっていらっしゃいます。例えば奈良の大仏様、鎌倉の大仏様、他にもありますけれど、これらお座りになっていらっしゃるのは、瞑想しているか、座禅をしているか、あるいは衆生に説法をしているところ、と考えてくださって結構です。

 

 

で、本日ご開帳の仏様は、『阿弥陀如来立像』となっております。つまり、座っていないで、立っておられるんです。是はどういう意味があると考えられるでしょうか。

いろいろ説があるようですが、これは阿弥陀様が皆様を今まさにお救いになろうとしている、お姿なのだそうです。

すぐに歩き出せる体勢です。もし座っていたら、まず『よっこいしょ』と立ち上がる必要があります。それだけ余計な時間を費やしてしまいます。それだけ救うタイミングが遅れてしまいのですね。

『阿弥陀立像』は、苦しむ衆生を今すぐ助けたい。と言う迸る情熱を表したものなんです。

 

今どこの社会でも、ストレスと言うものが問題視されております。ストレスの原因の多くが人間関係です。皆さんもご経験あるかと思いますが、どんな社会にも『苦手な人』と言うのがおられるでしょう。

何となくその人の態度や言葉が気になってしまいます。その人を嫌っていれば、当然気に入らない点ばかり目に付いてしまいます。是は非常にストレスフルです。しまいにはその人を排斥することしか、考えられなくなってしまいます。

なぜ、こんな風になってしまうのでしょうか。それは、その人を見続け、考え過ぎてしまっているからです。

 

阿弥陀如来に限らず、仏様のお顔をごらんになった事がありますか?

目は見開いていますか? 見開いている仏様も居ます。不動明王のように。でも阿弥陀様は一見、目を閉じているように見えます。しかし、閉じていないんですね。

正確には『半眼』と言います。

半分だけ目を開けている状態です。なぜ、こんな面倒くさいことをするのでしょうか。もちろん理由があります。

先ほど、相手を必要以上に見続けるから、相手のアラや欠点が見えすぎてしまい、それがストレスになると言う話しをしました。

 

 

そうなんです。だから相手を見過ぎなければ、良いんです。目を半分閉じる事によって、相手を見る視界は半減します。つまり、視界をさえぎる事によって、その人を考えすぎないようにしているのです。

『半眼』は、開けている部分で、相手を見つめています。と同時に、閉じている部分で、自分を見つめているのです。

相手を非難したり、排除しようとしている自分は、果たして周りから煙たがられているような存在になっていないか、周りにストレスを撒き散らしていないだろうか、と反省するために、己の姿を閉じている眼で、常に見続けているのですね。

 

人を非難したり攻撃するような人は、大抵自分を棚に上げています。だから非難された人は、卑怯だと捉え、ますますあなたを攻撃してくるのです。

相手を非難したくなったら、まず『己の振る舞いはどうなのか』よく自覚しておく事が大切なんです。

よく言われる言葉に、『人の振り見て、わが振りなおせ』とあります。

人に注目すると同時に、自分にも意識を振り向ける。このような『複眼思考』を持つことで、バランスの良い人間関係を構築できるんですね。

あれ・・・バランスの話しは終わったはずなのに(笑)。

 

参考・・・『近龍寺住職 ご開帳法話より』