『雑毒の善』とは | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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新しい時代になりましたね。

まだ改元一日目。『令和』になじめない人の方が多いかと思います。何言う私もその一人です。新元号が耳なじんでくるのは、果たして何年後でありましょう。

 

まだ余談からスタートします。皆さんが今現在、最も馴染み深い元号って、何ですか? ちなみに私は何と言っても『昭和』ですね。

いまだに地方の個人商店や大衆食堂などに入ると、『古きよき昭和時代』を思い出し、思わずうるっとしてしまいます。

やはり、生まれた元号だからでしょうか。

 

 

話しを聞いていくと、そうでもないことが分かりました。私とほぼ同年代のある方は、『平成』が最もなじみ深いと言うんです。何か印象に残る出来事があったのかもしれませんね。例えば結婚したとか、家を建てたとか、課長に昇進したとか・・。

それとも単に、過ごした歳月の総和なのでしょうか。

 

ちなみに私は昭和33年(1958年)生まれです。平成元年が昭和64年(1989年)ですから、昭和を31年、経験しています。それに対して平成は30年ですので、わずか1年ですが、昭和が長いと言うことになるようです。だけど1年くらいでそんなに変わるものでしょうか。皆さんはどの元号が最も印象深いですか?

 

さて、本論に入ります。元号はさまざまな理由で改元されてきました。ちなみに『令和』は、最初の元号『大化』から数えて248番目だそうです。改元の理由は天皇の即位によるものが8回。それ以外の理由、例えば天変地異や疫病、飢饉などが改元理由となっています。当時は元号を変えることで、穢れが取り払われ、災難がやむ。と考えられていました。ですが改元の歴史を見ると、その願いはむなしかったようですね。

 

これから始まる『令和』は、どんな時代になるのでしょう。いろいろな立場の識者が、いろいろな見解を述べています。それをいちいち鵜呑みにしていると、頭がおかしくなりそうです。

正直、『令和』がどんな時代になるかは誰にも分かりません。ですが、一つだけ確実に言えることがあるのです。

それは、新時代の良し悪しは、『あなた次第』であると言うことです。

 

 

同じ出来事でも、プラスに働くこともあるし、マイナスに働くこともあります。同じ事柄でも、プラスに思えることもあるし、マイナスに思えることもあるでしょう。

つまり、世の中の出来事の良し悪しは、、全てあなたの主観で決定されるのですね。ならば、プラスの出来事や事柄を増やして行きたいですよね。そのキーワードの一つが、『感謝』です。

 

『雑毒の善』と言う話しをします。

皆、人から認められたい、褒められたい、と言う欲求を持っています。けれど何もしないで認められる人は居ません。そこで私たちは『善』を施そうとします。ところがそこには『毒』が入っているのです。

『毒』とは、見返りを求める心、御礼を要求する心、恩に着せる心です。

この『毒』は、与えるものが大きいほど、『毒性』を増すようです。

 

友人に千円貸しました。ところがその後何度会っても、返すそぶりは見せません。『まぁ、忘れてるのだろう、千円くらいで大騒ぎするのもみっともない』とか考え、諦めようとします。

まぁ、千円くらいなら、仕方が無いでしょう。でももし、友人に貸したのが、100万円だったらどうしますか? 諦められますか? 

『あの野郎、困っているから思い切って貸してやったのに・・何て野郎だ。』とか、『何で平気でおれるんじゃい! 少しは申し訳ないと思わんのか!』と、きっと腹を立てることでしょう。

 

『人』の『為』と書いて、『偽り」と読みます。

人の為と言いながら行う善行を、『偽善』と言います。

一見私利私欲の無い、純粋な善行と思われるときでも、そこには何らかの計算が働いているものです。多くの人の心の中には、『見返りを求める心』や『私利私欲におぼれる心』が宿っているものです。ただ多くの人はそれを自覚していないのです。だから相手に善行をしてお礼が無かったりすると、『あんなにしてやったのに・・』と、愚痴が出てしまうのです。

 

 

ここで、良い悪いを言っているのではありません。私利私欲の無い心で施しが出来れば最も理想的ですが、残念ながら私達は聖人君子ではありません。ただ、私達の中の『雑毒』を自覚する事は可能です。

それを自覚した上で、さらにそれを発動させないために必要になってくるのが『感謝』の心です。

以前にも説明した『布施』の心です。『布施』は相手が喜ぶ。その喜ぶ姿を見て自分も嬉しくなる。コレが『見返り』だと言うのです。『布施』の心には『感謝』の心が絶対的に必要なんです。

 

明仁天皇も、退位の儀で述べられたお言葉で、『象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します』とありました。『令和』には、『麗しい調和』の意味もあると聞きます。これからも人間関係が複雑、難題化していく中で、最も守るべき徳目の一つ、『感謝』の心がますますクローズアップされてくるのは間違いないことだと思うのです。

私利私欲があるのは仕方がありませんが、そんな自分や他人を受け入れ、調和を守っていくには『感謝』の心無くては達成できないと思います。

 

長くなってしまいました。皆さんのが新元号に託す夢は何ですか?

 

参考・・・『聖教新聞』、『親鸞聖人法話集』