"あるがまま"養生の心得 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

昨日も指摘しましたが、『あるがまま』の第一歩は、患者が自分の病気(うつ)について、受け入れていることが重要になってきます。それが可能であれば、今回ご紹介する養生法は、比較的容易に進んでいけると思うのです。

けれど実際問題として、自分の症状や病気を最初からすんなり受け入れられる人は希です。大抵は拒否されるものです。

 

これが身体の病気ならば、ここまでの葛藤はありません。例えばガンを宣告されたとします。確かにショックではありましょうが、時間を掛けることで少しずつ受け入れることが出来、治療にも協力的になれるのです。自分はガンだ。と言う自覚さえ出来れば、大手を振って病院通いが出来るのです。

ところが心の病気だと、そううまくは行かないのです。

 

 

なぜなら、『心の病』になるような人は特別精神力が弱いのではないか、困難に耐える能力が人より低いのではないか、自分の生活習慣がまずかったから、病気になったのではないか、・・このような事を医者から指摘され、自分の人格的な事まで否定されるのではないか、

うつになるような人は、そんな不安感を抱いているのです。また、もし『うつ』と診断されたら、自分の精神力や努力で克服することを要請されるのではないか。と言った不安も垣間見られます。

 

あるいはどうしても仕事のことが頭から離れず、『○月×日に大事な会議があるから、それまでに治なければならない』などと考える人も出てきます。

そもそも神経質傾向の強い人は、常に『~しなければならない』との考え方の癖があり、それが『うつ』を呼び寄せている面もあるのに、仕事にこだわり、病気の回復についてさえも『~しなければならない』の考え方に当てはめてしまうのです。

こうなると『仕事熱心』等と感心していられなくなってしまいます。

 

もしこのような患者でも、緊急手術が必要だとか、重症で全く動くことが出来ないとなれば、諦めがつくものと思います。『心の病』のように目に見えないものについては、特に神経質傾向、及びうつ的傾向の強い人は、自分が病気であることを、心のどこかで受け入れられないで居るのですね。

だから中々『あるがままな養生法』を理解してもらえないんです。

 

うつや神経質に親和性の高い人。つまり、うつや神経質症になりやすい人には共通した特有の考え方があります。このような考え方をするから、うつなり神経質症になってしまうとも言えるのですが。

それが『こうあるべきだ』、『~しなければならない』と言った考え方なんです。

これらは性格傾向としても見て取れるのですが、几帳面さや仕事熱心さとしてプラス評価される場合もあります。ですが一面、融通の利かなさ、と言うマイナス面も大いに関与していると見られるのです。

 

 

神経質やうつになりやすい人は、まず自分の病態を素直に受け入れられません。あるいは、一見受け入れたように見えても、会社に迷惑をかけないように努力して早く治さなければ、などと考える人に対しては、良く次のような森田先生のエピソードをご紹介するのです。

森田先生の直弟子の高良武久先生の文章です。

『先生は病気で寝ているときも、平熱の時には一番労力の要るもの書きをされた。37度程度のときは読書をされた。それ以上の時は本を人に読ませて聴いていた。熱の状態により、無駄にならないようにふさわしく仕事をしておられた。』

 

このように、『熱が何度あろうとも、ものを書くことが望ましい』ワケではないのです。熱の状態に応じて臨機応変に対応するのが望ましいとしているんです。うつの症状も病気と言う点では、考え方は同じです。

うつに闇雲に抗うのではなく、うつの程度、うつの状態によってふさわしい行動を選択して行く事が、大切なんですね。

まず、自分の病気を受け入れること。

次に、症状に応じた無理の無い態度や行動を選択していくこと。

これが『あるがままの養生法』の極意です。

 

参考・・・『神経質問答』、『森田療法で読むウツの治し方』、『森田的入院療法』