自己没頭って、何 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

U君は今でこそ自分の赤面を受け入れられるようになりましたが、ここに至るまでの苦労は並大抵のものではありませんでした。

普通の人なら、とっくに諦めると思います。ですが神経質者は何年も、時に何十年も症状と戦い続けるのです。

誤った認識からとはいえ、その粘り強さ。諦めの悪さ(笑)。普通の人にはとてもまねができません。←褒めてんだか貶してんだか

 

さて、U君が森田に出会う前、いろいろな貪るように書物を読みまくったそうです。何か自分の苦しみをやわらげてくれるものは無いだろうか。少しでも回復のヒントになるようなものは無いか。まさにわらにもすがる思いであったろうと思います。

そんな数ある本の出会いの中から、森田療法以外のもので、印象深いものをひとつあげてもらいました。

 

 

それは、バートランド・ラッセルの『幸福論』です。

ここではラッセルの独特の視点で、幸せになれない理由、幸せになるための条件などについて、かなり具体的に書かれています。それらを一つ一つ読み込んでいくと、後に出会うことになる森田理論と、非常に近い考え方で有ることがわかったのです。

勿論ここでは『幸福論』のすべてを網羅できないので、特にU君の心に残ったところだけ、説明することにいたしましょう。

 

ラッセルは不幸になる原因として、いくつかの要素を挙げていますが、その一番に来るものが、『バイロン風の不幸』と呼ばれるものです。これだけだと何のことやらわかりませんね。

日本語にすると、『自己没頭』ですって! ますます解りません。そもそも何がしかに没頭するって、良いことじゃないの?

有る本によると、『理性によって作り出されたペシミズム』のことだと言っています。うーむ、解ったような解らないような。

 

つまり、自分で勝手に不幸な世界観を作り上げ、そこに閉じこもってしまうことだと言うのです。それが不幸の最も大きい要因だと言うのですね。なるほど、少し解ってきました。

・・自分のうちに閉じこもる・・

それってそのまま神経質者の病理ではありませんか?

 

神経質者の症状と言うものは、非常に主観的なものです。U君の赤面にしても、本人は死を考えるほど悩んでいるのですが、周りから見るとそんなに目立つほど赤くなっていないし、いったい何を悩んでいるのだろう、と言うことになります。要するに自分の観念の中で、病理の部分だけがクローズアップされ、現実世界と大きく乖離してしまっているのです。その理由が、事実よりも理想や観念を優先してきた思考の癖であり、過剰なほどの自己防衛と自己内省性のなせる技だと思うのです。

 

この『自己没頭』について、ラッセルは、『思考をコントロールせよ』と言っています。どういうことでしょうか。

つまり、考えすぎるな。と言うことです。自己没頭の罠に陥る人は、大抵考えすぎて、しかもマイナス要素ばかりが頭に浮かび、負のループから抜けられなくなっているのです。

こうなるともはや思考ではなく、単なる気分です。ここから脱出するには、これ以上考えることを断念し、行動を起こすべきだと言っています。なんだ。森田と同じじゃん。

 

次いでラッセルは、不幸の原因として、競争、退屈、疲れ、妬み、などをあげていますが、ここでは退屈と疲れについて述べてみましょう。

普通退屈とは、やることが無いこと。と考えられますがラッセルは『現在の状況と、もっとも快適な状況とを対比している事』と述べています。確かに! 楽しかったことや充実した日々を思い出すほど、今の退屈感が身にしみて来るでしょう。

 

それから『疲れ』です。普通肉体の疲れを想像しますが、ラッセルはやはり精神的な疲れ、特に取り越し苦労や心配から来る疲れこそ、重篤だと言っています。その原因はやはり思考をコントロールする能力に欠けているせいではないかと、指摘しています。

 

 

『退屈、疲れ』について、もう少し考えてみましょう。何回か前に『目的本位』について書きました。その中で、『ただ、人に言われた通りやるのは良くない、自分で工夫しながら主体的に取り組むべきだ』と言う先輩の言葉を紹介しました。

つまり、『やらされ仕事』、『お使い根性』では、いくら行動だけ目的本位でもダメなのですよ。と言うことなのですね。では、なぜダメなのか?

 

『やらされ仕事』や、『お使い根性』で仕事をしていると、面白くないですよね。やる気が失せますよね。すると、退屈感が増しませんか? ますます疲れやすくなりませんか?

ラッセルの言う、『疲れ』や『退屈』は、このような意味も含まれているように思うのです。

ですから、この場合の対策は、『主体的に行うこと』、『自分でやりやすい方法、どうしたら早く終わるかと言うことを考えながら、工夫して行う事』が、退屈と疲れに対する予防策と言えると思うのです。

 

次回はラッセルが幸せになれた理由を考えてみたいと思います。

 

参考・・・『幸福論』