初心で森田療法を学ぼうと言う人は、まずはこの二点について勉強することになると思います。
まずは『あるがまま』。
これについては随時触れていますので、皆様は理解済みでしょう。
それともう一つが『欲望と不安』です。
極めて簡単に説明してしまうと、私達が抱える不安や恐怖の裏側には、必ず何らかの欲望(欲求)が隠されていると言う見方です。
これだけでは良くわかりませんね。たとえば誰の心にも『死の恐怖』なるものがあります。あなたも死ぬことは怖いですよね。でも、死の恐怖が強いと言うことは同時に、『生きたい!』すなわち『生の欲望』が強いことに他ならないんですね。
『生きたい』気持ちが強いからこそ、『死』がますます怖くなるのです。
この両者は切り離すことが出来ません。表裏一体です。
神経質症の不安に苦しむ人に、このように説明するのですが、いまいち理解していただけません。それはこのような理由が有るのです。
私たち神経質者は、症状としての不安に向き合うことは簡単です。なぜなら、不安なんだ苦しいんだ、と周囲に訴えてさえいれば、その場にとどまって何もしなくても良いからです。何もしなくても周囲から励ましてもらえたり、共感してもらえたりします。有る意味こんな楽な事はありません。
ですが不安の裏側の欲望と向き合ってくださいと言われると、とたんにそれを実現するための行動に移らなければなりません。たとえばU君がスピーチに対する不安の裏側にある、例えばみんなの前で立派にスピーチをしたい。と言う欲望と向き合うとします。
すると赤面の苦痛に耐えながらも、目的本位でスピーチの訓練をする。と言う風な行動をとることを迫られてくるのです。
パニック障害で予期不安の強い人が、会社を休まず通いたい。と言う欲求に向き合うとしたら、発作の恐怖に耐えながら、混んだ電車に乗り、会社まで毎日通わなければなりません。
このような行動を『恐怖突入』と言いますけれど、いずれにせよ苦しく、非常に努力を要するものです。
ですから無意識のうちに、欲望から目をそらそうとしているのですね。だから本来の欲望が見えずらい訳なんです。
『恐怖突入』
と言う言葉ほど、森田用語の中で嫌われているものは無いでしょう。誰だって『恐怖突入』はしたくありません。だって辛くて、苦しくて、ものすごい努力が必要になりますから、やる前から足がすくんで動けなくなってしまうのですね。
この怖さは私にも解ります。『恐怖突入』の恐ろしさを『清水の舞台から飛び降りるよりも怖い』と評した人さえ居るほどです。
でも良く考えてください。『恐怖突入』は何のためにやるんですか。
症状を治すため?
自分を鍛えるため?
人に良いところを見せたいため?
いずれも違います。
先ほどの『欲望と不安』の話しを思い出してください。『欲望』とはあなたのやりたいことです。あるいはあなたが『こうなりたい』と思っていることです。U君だったら、大勢の前でも上手にスピーチが出来るようになりたい。と言うものでしたね。
つまり、『恐怖突入』とは、あなたがやりたかったことをすること、なりたい自分を実現させるために行うことに、他ならないのです。
別の言い方をすれば、症状が有るために今まで出来なかった事、避けていた事とは、本来あなたが希望していたことばかりなんです。
月並みな言い方ですが、『恐怖突入』は希望をかなえるための第一歩なんですね。
いかがですか? 少しは前向きになれましたか?
それで無くとも神経質者は、周囲に認められたい気持ちが最優先になっているので、中々自分の求めているものに気づきません。
極端な話しですが、『皆が良い人だと言っているから、結婚しよう』としたり、『皆がいい会社だと言っているから、就職しよう』とする人だって居るんですよ。勿論他人の選択にとやかく言う筋合いはありませんが、あまりにも自分の欲求に無頓着すぎると思います。
昨日の話しではありませんが、まったく『自己を尽くして』いません。
『自己を尽くす』とは、かけがえの無い自分の特徴をフルに発揮し、人々のお役に立つことです。どちらが欠けてもダメです。
人の役に立っても自分を犠牲にしていたり、自分だけ輝いて周囲を犠牲にするのもNGです。
『自己を尽くす』とは、『他者を尽くす』事と同義です。
このようになるには、自分の欲望をしっかり自覚し、これに沿ってベストを尽くしていくことです。それが『自他ともに生かす』最善の道なんですね。