"自己"を尽くす① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

神経質者ならずとも、私たちは人と比較しないでいられません。頭の中では比較してもどうにもならないことは、十二分に理解しているのです。でも自分より優れた人や、恵まれている人を見ると、うらやましい気持ちだったり、時に妬ましい気持ちだったり、あるいは自分に対する劣等感なるものを意識せずにいられません。

 

 

U君もまさにそうでした。

毎日のスピーチ練習の効果もあって、少しずつ話しの仕方も上手になってきました。それに伴い赤面を意識することも少なくなったように思えます。でも相変わらず主観的には苦しい日々が続いてしまいました。

せっかく話し方が上達したのに、U君はつい、人と比較してしまうのです。それもどういうわけか、必ず話しが飛びぬけて上手な人と、比較してしまうのです。これではいつまでたっても達成感は得られませんよね。

 

このようにすぐ比較に走ってしまう背景には、これまで何度も出ましたように、『人に認めてもらいたい』、『劣等な人間だと思われたくない』気持ちが強すぎるためだと思われるのです。これは幼い時からの思考の癖とも関連しているので、中々修正は難しいものです。

そこで先輩会員はU君に、二つのことを実践するように勧めてみたのです。

 

まず一つ目は、『つらい最中であっても、なるべく出来たことを評価する事』です。どうしても私達は出来ている部分より出来ていない部分の方に着目しがちで、しかも自分の出来ていない部分と他人の出来ている部分とで比較を行うため、いつも完全負け試合なんですね。

ですから、赤面や緊張が生じたとしても、そんな中で伝えることは伝えることが出来た、といった事実があれば、後者の方を評価するよう勉めることです。これは生活習慣のようなものですから、毎日毎日コツコツと続けることが、文字通りコツになるのです。

 

先ほど、自分の欠点と他人の長所を比較する話しが出ましたけれど、これにはもう一つの『心のからくり』が隠されているのです。それは『差別観』と言うものです。『自分は話しをするのに四苦八苦しているのに、他人はあんなにスラスラ話しが出来る。いいなぁ』と思ったとします。この思いの中には、『自分は特別劣っているのだから、他人のようには出来るはずない』と言う思い込みがあります。これが『差別観』です。

 

 

しかしながら、私達は他人の気持ちを読み取ることは出来ません。あくまでも推測するだけです。スラスラしゃべっているように見えても、本当は内心ドキドキしているのかもしれません。つまり、他人の心は聞いてみない限り、解らないものなんです。

それではなぜ、『他人はスラスラしゃべっている』と思えるのでしょう。それは、以前にも登場した『投影』のからくりが有るからです。自分の心の奥底に有る抑圧された気持ちが、他人のありように反映するのです。

 

ですからここではっきり言います。

私達がしている他人との『比較』は、『自分の心と、自分の心の投影との比較』にすぎません。つまり、独り相撲なんです。

ですからまったく意味を成さない比較です。

こんなことでせっかく自分が上達した部分や、出来ている部分に着目出来ないなんて、実にもったいないことだと思いませんか?

 

さて、先輩会員がU君に薦めたことが、もう一つありました。

それは次回に詳しく触れたいと思います。