何となく・・治る | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

何度かチャレンジして、やっと希望の大学に入りました。

あ、言い忘れたのですが、U君は教員でした。でしたと言うのは現在現役は引退されているからです。それにしても児童のような先生です。(←大きなお世話)  そうです。彼が挑戦したのは教員を育成する専門学校だったのです。

 

その後教員免許を取得し、晴れて教育の世界に就職できました。この間詳しく書きませんが、相当の紆余曲折が合った模様です。

とにかく無我夢中だったそうです。

後で振り返ってのことですが、大変なこの時期、一つだけ良い事があったそうです。それは、『しばし症状から離れることが出来た』と言うことらしいです。

彼はそのとき、『うん? もしかして赤面恐怖は治ったのかも・・』と思ったそうです。気持ちはわかりますよね。

でも次回詳しく述べますが、治ったわけではありませんでした。

 

 

本人は年がら年中赤面しているように感じていますが、実際は人に合っている時、大勢の人と対峙しているとき、あるいはこれから緊張する相手と合う事を思い描いたときくらいです。

ですが大学受験から教師として学校に赴任するまでの間は、上記のようなシチュエーションもほとんど無かったらしいのですね。

それで本人は治ったものと、すっかり勘違いしてしまったようなのです。

 

ところが教員として勤め始めてしばらくたったころ、有る事件が発生しました。その事件をきっかけに、彼の赤面地獄が再発してしまったのです。

果たしてその事件とは・・

次回の展開をお楽しみに(笑)

 

さて、U君の体験談は一休みして、どうして『何となく治った』ものは、ほぼ例外なく『再発』してしまうのか、考えたいと思います。

そこいら当たりのところ、少しだけ解説してみますね。

まず、『何となく治る』と言うことは、神経質症に限ってはまずあり得ません。

実際は治っていないのです。ですから『再発』と言う言葉も本来不適切です。

でもU君は確かに赤面が楽になったのですよね。それが『治ってない』とはどういうことなんでしょうか。

 

有る診療所で面白いデータを拝見しました。

そこを退院した人にこのようなアンケートをとりました。

『退院時、あなたが最も変わったところはどこですか?』

大きく三つに分かれたそうです。

①は、症状が楽になった人。

②は、症状はあっても行動が出来るようになった人。

③は、なんだか知らないが、考え方が変わったと言う人。

さあ、この中で最も治癒率が高いグループは、どれだと思いますか?

 

正解は③です。次が②で、①の人たちは、多くが再入院したと言うことです。 予想と比べていかがですか?  以外だったでしょ。

①は、まだ症状を問題にしているのです。心のどこかで『治そう』としています。こんな心の置き所が変わらなければ、いつまでも治りません。

②は、とりあえず症状の有無は問題にしていません。症状はどうでも良く、それよりも日常生活がスムーズに回ることを重要視しているのです。いわば目的本位の態度ですよね。

 

 

③は、言わなくても解ると思います。考え方、つまり人生観が入院時と変わってきたのですね。③の人の中には、入院したことも忘れるくらい変わった人もいたそうです。

森田先生も、このように述べております。

『人生観が正しくなれば、始めて全快し、再発しないのである。』

また、こんな風にも述べています。

『赤面恐怖でも、単に恥ずかしくなくなった、と言うだけでは治っていないのである。赤面恐怖はいついかなる場合でも、とても苦しいものでなければならない。・・自分の気分や想像で、『良くなった』とか『理解できた』と言うものほど、あてにならぬものは無い』

 

昨日も同じような事を言いましたね。

『治る』と言うのは『あり方』です。

それを自らの意思で治そうとするのは『はからい』なんでしたよね。

少しだけ難しい所かもしれませんが、この機会に是非、森田で言うところの『治るとはどういうことか』を理解していただけたらと思うのです。

 

参考・・・『神経衰弱と強迫観念の根治法』、『市川光洋クリニック』講義資料より