"マニュアル"に捧ぐ? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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友人がパソコンを買った。何気なくパソコンについていたマニュアル本を見たのだが、その薄さに驚いた。

たぶんパソコンを操作する中で、細かい解説がなされてくるのだろう。だからほんの導入部の説明だけで、後の細かい説明は不要になったのだろうと思う。

逆に薄過ぎてで不安になるほどだ。

 

 

私が若かりし頃、パソコンなるものに初挑戦したときの思い出だが、そのマニュアル本の分厚さに驚いた。百科事典かと思ったほどだ。はじめから終わりまで細かい字がびっしり並んでいる。若かったから何とか読みきったが、今はそれだけでパソコンを使うのを断念してしまうと思う。そもそも老眼で読めないだろう。

 

パソコンに限らず、マニュアルや解説書の類は、おおむねシンプルになってきていると思う。だが一箇所だけ、その傾向に反し、ますますそのボリュームを増しているページが有る。

それは言うまでもなく、『警告や注意』喚起の文章である。

勿論安全への配慮は大前提である。誤った使い方をして大事故に至っては元も子もない。

だが最近の警告や注意の文章を見ていると、大きなお世話と感じるものも少なくないのである。

大きなお世話では語弊が有るなら、『老婆心』と言い換えても良い。

 

有るレトルト食品である。レンジで袋ごと暖めないでくれ、なべで暖めるときはなべのフチに触れないようにしてくれ、冷凍しないでくれ、暖め直しはしないでくれ、一回で使い切れ、遺伝子組み換え製品が含まれてるぞ、開ける際は手を切らないように注意しろ、フタに傷をつけるとカビが生えるぞ、温めるときは熱湯に注意、製品を取り出す際は、飛びはねに注意、・・などなど、後は忘れた(笑)

 

どこからが『大きなお世話』になるのかは人それぞれだろう。だが大の大人が調理するのに、ここまでの馬鹿丁寧さが必要なのだろうか。

おそらく、何らかの事故や消費者クレームがあったのだろう。損害賠償なども請求されたに違いない。

先日も、家電量販店で買った電気製品を、消費者が使い方を誤って怪我をしたと言うニュースがあった。

その際に焦点になったのが、担当店員がその危険性を正確に消費者に伝えたのがどうか、と言うところであった。

 

レトルト食品においても、同様だろう。何かクレームや事故が起きた場合、それらの情報がちゃんと記載されていたのかが焦点となる。

記載されていれば消費者の過失になるし、記載がなければメーカーの過失となる。だからメーカーはこぞってあらん限りの『警告、注意』を書き出すのであろう。

これは時代の流れで仕方のないことなんだろうか。

 

マニュアルと言えば、こんなこともあった。

とある書店で本を数冊買った。そこの店員がこんなことを訪ねてきた。

『お客様、これらの本の中で、カバーをお付けした方がよろしかった本はございますでしょうか?』

耳の遠い私は、『何ぃ?』と何度も聞き返してしまった。

これが最近話題の『マニュアル対応』と言うものなのか。

 

 

くどいほどの取り扱い注意の説明。

心がこもらず、マニュアル棒読みの店員。

一見無関係のようだが、両者の病根は一つなのだと思う。

どちらも、自分で考える。と言う大切な作業をおろそかにしている事なのだ。

マニュアルがあれば、何も苦労して頭を悩ますこともない。

こんな楽な事は有るまい。

 

店員はマニュアルに頼ることで、頭を働かせない。だから本当のサービス精神なぞには考えも及ばない。これではますます客か離れるから、ますますマニュアルに頼る。

消費者は警告や注意書きが充実するほど安心する。その分頭を使わない。だから警告に書かれていない事故が起こるのである。

昔から言われているだろう。『事故は常に"想定外"』なのだ。

 

このままマニュアル化が進めば、ますますマニュアル本は分厚くならざるを得ない。

分厚くなるほど、たぶん読まなくなる。

かつてのパソコンマニュアルに辟易した私のように。

これでは永遠の悪循環ではなかろうか。