"ベスト"なこだわり | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

昨日は、わずかな感情の起伏にも気づき、それを否定せずに認めてあげることが大切だと説明しました。

『あ、今自分はイラッと来てるんだな。そうだよな。いつもの場所がとられていたら、イラッとなりたくもなるよな』こんな具合ですね。

大切なのは、これを習慣化することなんですよ。

 

電車

 

さて、今回はなぜ、イラッとしてしまうのか。について考えたいと思います。昨日の記事をお読みになった方はわかると思いますが、いずれもたわいないことです。そんな些細な事はまったく気にならない人の方が多いかもしれません。しかし少なくともA君は、確かにイラッとしていたのです。

ではなぜ、かくのごとき状況がイラつきの対象になってしまうのか。

 

何度も言うようですが、物事は個人の受け取り方にかかっています。客観的にたいしたことがなくともその人にとっては生死を分ける一大事のようなこともありうるわけです。

だぶんA君にとって件の出来事は、怒りの感情を想起させるのに必要十分なものであったのでしょう。

 

理屈では何でも言えます。別にいつもの座席に座れなくても会社に遅れるわけじゃ無いでしょう。、カフェオレがなくてもコーヒーを飲めば済むことでしょう。

しかし、理屈で割り切れないことはたくさんあります。

その代表が、こだわりと言うものでしょう。こだわりは習慣によって養成されます

 

ここで少し思い出していただきたいのです。神経質者のように自分の感覚感情に疎い人間は、そのときそのときの感覚や好みで意思決定をするのが非常に苦手です。と言いますか、そもそもそんな習慣がないので、いちいち考えて決めるのはウザイのですね。ですからとりあえず今までどおり、のやり方に固執してしまうんです。

 

 

例えば3両目の何番目に並んだら、すっと座れた。

体験があったとします。一回味をしめれば、その行動は反復されていきます。そしていつの間にやら習慣になります。そして習慣はいつしかこだわりに成長していくのです。

カフェオレの件も同様でしょう。たまたま入ったコンビニで飲んだカフェオレがことのほかおいしかった。これが習慣化してこだわりになったと思われるのです。

 

こだわりが出来ると、有る意味ラクです。だっていちいち考えなくてもいいんですから。ただし、マイナス面もあります。それは、いったんこだわりが形成されたものは、修正が困難である。事です。

ですから何かの事情でこだわりが遂行できない場合、軌道修正が出来ない分、心の中に怒りの感情が生じてしまうのですね。

 

ではどうしたらよいのか。結論を言います。

もし、自分の行動がこだわりによるものであると感じたら、こんな風に考えてください。

『本当に、そのやり方がベストなのか?  本当にそのやり方でなければならないのか?』

たいていは臨機応変に対応できるものがほとんどです。それに気づいていなかっただけなんです。臨機応変の対応とは、言い換えれば『次善の策』を決行する勇気です。

 

例えば不眠で悩んでいる人は、『なぜ自分はこんなことでくよくよ悩んでいるんだ』と自分を責めます。自分の気の小ささを悩みます。でも眠れないので悩まないように頑張ります。ますます眠れなくなります。

こだわりなんですね。

そんなことよりさっさと睡眠薬でも飲んで、寝てしまえばいいんです。

これが次善の策です。

 

 

男子トイレで小用が足せない人が居ます。人のいないときを見計らっていたり、開いた瞬間に飛び込んでみたりします。しかしあせればあせるほど出なくなります。ああ、なぜ自分はこうふがいないんだろう。情けなさに涙が出ます。

そんなこと悩んでいるヒマがあったら、大きい方の個室に入ってしまえばいいんですよ。これが次善の策です。

 

悩むのは悪いことではないんですが、こだわりが強い人は、悩むだけで何も生産的な行動が出来ていないんですね。

それなら多少こだわりから外れるものの、別の方法を選択するのが、より生産的だと思いませんか。

神経質はワンパターンだと言われます。こだわりが手放せないから、臨機応変な対応が出来ないだけなんですね。