さて・・・・(何を書こうか頭に浮かんでない)。
そう、確か前回は他者承認欲求が満たされない人は、すぐに結果を求めがちになる。と言う話しでした。そんな方法で本当に満足できる人生を歩めるのでしょうか。と言った問いかけでしたね。
『他人に認められたい』
だからその手段として、誰からも客観的に認められるすばらしい結果を欲しがるのは良くわかります。
学生ならば、『テストで満点を取った』なら、周りは文句なくあなたを褒めてくれるでしょう。人から自分を認めてもらえれば、少しは自己受容できそうな気がします。
しかし、ここには大きな落とし穴があります。
あなたの目的は『人から認められること』です。その手段の一つとして、『結果』を追い求めるのです。したがってあなたの中では『結果』は道具に過ぎません。
道具があれば、とりあえず目的を達成することが出来ます。目的が達成できれば、道具の是非は問いません。
テストで満点取るためには、地道に一生懸命勉強するのが王道です。勉強した結果として、満点がついてくるのです。
ところが結果を手段として捉える人は、そこに至る過程等はどうでも良いのです。
職人が心をこめてこしらえた道具でも、100均ショップで売っているような道具でも、何でもいいのです。
『結果良ければ、すべて良し』なんです。
例えばテストの内容に沿った問題集を手に入れて、その答えだけ丸暗記し、それをテストにそのまま書き写してしまうかもしれません。
良い結果が得られれば良いのですから。
ただし、答えを丸暗記しただけでは、勿論実力はつきません。地道に一生懸命勉強した人に、敵うはずはないのです。
他人に認められるために、結果だけを追い求める人が落ちる落とし穴とは・・
『結果に至る過程(努力とか勉強とか修養)の大切さ、重要さがすっぽり抜け落ちてしまっている』ことなんです。
つまり、過程を重要視しないから、本当の実力がつきません。いずれ努力する人に追い抜かれてしまいます。
結果のみを重要視しているはずなのに、いずれ結果が出せなくなってしまうのです。他人の承認が欲しいのに、いずれ化けの皮がはがれ、誰にも承認されなくなってしまうのです。
『結果』を求める人には、もう一つのタイプがあります。
自分の好きな事に励み、努力するのが楽しくて仕方がない人たちです。このような人たちは、『結果』を出せればそれだけで無上の喜びを味わうことが出来ます。万一出せなくても、さほど落ち込みません。
最初に、『自分』ありきでスタートして居るからです。
今まで述べてきた、最初から他人の期待に合わせて結果を追い求める人たちの考え方とは、真逆ですよね。
どこが違うと思いますか?
他人の期待に応える事でいっぱいの人は、まず『結果』ありきです。
一方、自分がやりたいことに夢中になっているうち、いつの間にか良い結果が出ていた。と言うように、まず『自分』ありきです。
自分ありきの人は、努力した甲斐あって、望む結果を手に入れたのですから、それまでの努力の過程をとても大切にしています。
『結果』はもちろん大切です。
ですがそれ以上、それの何倍、何十倍も、『過程』の方が大切なんです。
ただし、『過程』は原則誰の目にも触れません。
だから承認欲求が肥大した人は、見向きもしないんですね。
一番大切なものが見えない・・・これ以上の不幸が有るでしょうか。実に哀れでかわいそうな人たちです。
参考・・・『自己受容』、『自己肯定感の高め方』