自分の思ったとおりのことをしようとすると、何となく罪悪感を感じる。自分の欲するところを実践しようとすると、何となく責められたような気持ちになる。
こういう人は少なくないようです。
自分の欲求に沿って行動しなさいとアドバイスを受けても、この手の人にはつらさを増すばかりの対応になってしまいます。
上記のような人は、幼い頃に植え付けられた主に親からのメッセージに、そのヒントがありそうなのです。
ご存知の方も多いと思いますが、交流分析の『禁止令』のお話です。
『禁止令』とは、親のエゴから子供のエゴに向け、無意識に出す拘束力の強いメッセージのことなんです。親は勿論、『○○してはいけない』と言う形で子供に強制するわけではありません。しかし受け取る側がその言葉の裏側に有る非常に悪意の有るメッセージとして受け取ってしまうんです。しかもいったん受け取ると、そのメッセージは命の尽きるまで、その人を拘束し続けるのです。
これだけでは良くわかりませんね。
有る優秀な青年が、うつになりました。
彼はうつになるまで、休みもとらず、馬車馬のように働きました。
有る日、どうにも体が動かなくなり、『燃え尽き症候群』の診断を受けました。
彼の父親は有る自動車会社の設計に携わっていました。チームリーダーと言う肩書きもあって、新製品開発に昼夜を問わず明け暮れる毎日です。毎日朝早く家を出て、深夜に帰宅する毎日。土曜日も出勤で、日曜日は家に仕事を持って帰り、家で企画書や図面を作っていたのです。
そんな父ですが、息子(青年)への面倒見は良く、なるべく一緒に遊ぶ時間を捻出しようとしていました。
父は家族団らんのときなどに、こんな事を青年に言いました。
『お前もいつかは社会に出るときが来るよな。今のうちにしっかり勉強しておくんだぞ。今の時代、大学くらいは出ておかないと、後で苦労するからな』
決して有名大学に入れとか、一番になれとか発破をかけていたわけではありません。
上記の父の言葉は、決して異常ではないですよね。普通の親ならだれてもかけるであろう言葉です。つまり、この時点で父のメッセージは『教訓』と呼ばれるレベルです。
交流分析では、一人の人の中に複数の自我が有るとします。(詳細は専門サイトを参照のこと)①親から受け継いだもの、(理性の部分)②自分本来の自我(感情の部分)、③そして両者を制御する自我です。それぞれ①ーP、②ーC、③ーA、などと呼ばれます。
そこで先ほどの『教訓』ですが、父親の①から、あるいは③から、子供の①にインプットされていったと考えられます。これだけなら何も問題は発生しません。
ですが、私達には感情があります。言葉にならない部分ですね。子供の感情は、親の言葉の裏側に有る強いメッセージを受信してしまうんですね。
それでなくても彼(青年のことですよ)は、小さい頃から父の身を粉にして働く姿を見せ付けられてきたのです。休まず、遅れず、残業をこなし、休日も返上し、不眠不休で会社に尽くしている父親の生き様を間のあたりにしてきているんです。
この時点で、ありきたりの『教訓』は、まったく別物へと変貌を遂げてしまうのです。
かの青年が、②の感情の部分で父から受け取ったメッセージは、次のようなものでした。
『遊ぶな!』
『休むな!』
『会社に尽くせ!』
『身を粉にして働け!』
と言う極めて悪意に満ちたメッセージだったのです。
これが『禁止令』あるいは『拮抗禁止令』と呼ばれるものです。
彼の母親も基本的には父寄りでした。いつも『あなたもいつかは、お父さんみたいな人になろうね』と優しく諭しておりました。
ですが、父からの強烈なメッセージが吹き込まれた後では、母の言葉がこのようにしか聞こえなかったと言います。
『お父さんみたいな人になって、お母さんを喜ばせてね。』
父からの『禁止令』は強化されこそすれ、なくなることはありません。一生苦しめられるのです。本人が気づくまでは。
いつしか青年は、自分を抑圧し、不眠不休で馬車馬のように働くこと、そして、母親の期待に応える事が彼の人生の寄って立つ基盤となりました。これを『人生脚本』と言います。
『人生脚本』は基礎は4才ころ、10才までには完成すると言われています。その後の修正は中々難しいんですね。
参考・・・『セルフコントロール』、『エゴグラム入門』