認められない! | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

自分の良いところも悪いところも、ありのままに認める。

事が、自己受容であると言いました。

なるほど、頭では理解できました。けれど、良くないところも認めようとするのですが、中々思うようにはいきません。そんな自分に嫌気が差して、ますます自己受容できなくなりそうです。

 

そんな話しを良く聞きます。

なぜ、自己受容の大切さは理解できているのに、受容することが出来ないのでしょう。なぜ、ありのままの自分が認められないんでしょう。

いろいろな要因が考えられますが、もしかするとあなたの心の奥底の無意識レベルで、受容する事を拒んでいるかもしれないのです。

 

 

自己受容の入門的手法として、自分の出来たことを認め、ノートか何かに記入していくものがあります。これなら記録に残るので、あとから『ああ、自分は結構出来ているな』と、自己肯定感をあげることも出来るのです。

実際に神経質者の会でやってみたのですが、結果はあまりはかばかしくないのです。

 

『出来た事柄が無い』と言うのです。

そんなはずないでしょ? と、もう一度確認すると、『出来たと思えない』、『出来たことを認められない』などと言うではありませんか。

もし、出来たことを認めてしまったら、だらだらしてサボってしまうに違いない。認めてしまったら、努力を放棄するに違いない。それでなくてもだめな自分だから、常に『お前はダメ人間だ』と、発破をかけているんだから・・と言うのです。

 

こう言う人は、幼い頃の生育環境に影響されている場合が、少なくありません。例えばテストで95点取りました。大喜びで親に見せたら、『何でここ間違ったの?』と指摘され、がっかりしました。そして今度こそ親に喜んでもらおうと、よりいっそうの努力を自分に課すのです。

 

なるほど一理あります。しかし勘違いをしています。自分を認めることは、自分を甘やかすことではありません。また、理想の自分でなければ自己受容してはいけない。と言う風な縛りも有るようです。

百歩譲って、社会や他人からは認めてもらえないかもしれません。だからこそ、自分で自分を認めることが大切になってくるのです。

 

また上記の人は、『出来ている部分』を当然のように受け止める傾向が強くあります。たとえば毎日毎日遅刻も早退もせずに、何十年と会社に勤め続けたと言うこと。これはとてつもなくすごいことです。でも本人はそれが当たり前と思っていますから、何の感慨も起きてこないのです。出来ている部分が普通になってしまいますと、『出来ないこと』、『だめな部分』ばかり着目してしまうことになり、果てしない理想を追いかける羽目になってしまうのです。

 

思い当たりますか?

こんな人たちが、無意識のうちに今の自分を拒否してしまうんです。

『だめな自分』、『罪な自分』は認めてはいけない。と言う思い込みが強いのですね。昨日のAさんも、そんなタイプの一人かと思います。

神経質者の会は、自分を受け入れられない人のたまり場ですので(笑)、他にもいくつかパターンがありそうです。

 

 

○スネオ君タイプ

今まで自分なんか、誰にも大切にされてこなかった。

どうせ自分なんて、根っからのダメ人間さ。

こんなカスみたいな人間を、誰が認めてやるものか!

 

○復讐に燃えるタイプ

あえて『だめな自分』に甘んじることで、自分を不幸にした相手に復讐しようと試みる人。

『自分がこんなになったのは、お前のせいだ。責任を取れ!』

 

○自己保身タイプ

人から否定されたとき、自分を認めていなければ、傷つく度合いも少なくて済みそうだから。

 

まだまだありますが、ここいらにしましょう。

ありのままの自分を認めると言うのは、かように難しいものです。

でもここを克服していかないと、永久に不全感や自責間に苛れることになってしまいます。

自分はなぜ、自分を受け入れられないのか。一度じっくり考えてみることをお勧めします。

なお、後半の項目は、丸岡謙仁氏の記事を参考にしました。