~偉大なる力~ | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

どうにも逃げ場の無い状況の中で、Oさんはただ、目の前の道を粛々と歩いていきました。まったく希望はありませんでした。このまま行けば、おそらく私の人生も終わりを迎えるに違いない。Oさんの頭の中には今までの人生が走馬灯のように映し出されるのでした。

 

『死の行軍』を思い出しました。大雪の中で道に迷った兵士達は、ついに力尽きて次々と凍死していきます。

あれはまさに今の自分の生き様と重なってくるのです。死ぬことが判っていながら行かざるを得ない姿を思うたびに、これが自分の運命なのだと思ったのです。

精も根も尽き果てました。

もう、いつだめになってもおかしくない状況であったのです。

 

 

すると、不思議な事が起こったのです。

だめになっているはずの自分が、だめになっていないのです。そればかりか、今まで見えなかった身の回りの様子が、はっきりと見えてきたのです。自分の足元も見えてきて、次の一歩をどこに出せばよいのかまでが、良くわかるようになったのであります。

 

はじめは理解できませんでしたが、後になってこれは森田の『感情の法則 ③』によるものだと理解できたのです。

今まで自分の中で対立していた概念が、いつの間にかひとつに融合した感じです。まさに慣れると言うことは、症状も含めて回りにあるものを自分が受け入れて、一体になることだと思いました。そうなった時にはすでにわがままで自己中心的な態度も是正されているのです。

 

かつてのイメージでは、自分は社会的、もしかしたら肉体的な死を迎えて、一巻の終わりと言う筋書きを想定していましたが、実際には理知的な淘汰を得て、本来の自然な自分が具現されてきたような気がしました。

そして最近の自分の生き方を振り返ってみると、『森田理論』通りの生活をしていることに気づいたんです。

これが『森田』なんですね。

 

・・・はい、ここまでがOさんのお話です。私はこの話しを聞いて、フランクルの著書にあった"偉大なる力"のことを思い出していたんです。

簡単に説明しますね。

 

登山家ロブは、四千メートルの山の制覇を目指し、孤独な戦いに挑んでいた。ところが突然天候の急変に見舞われ、猛烈な吹雪に滑落。岩に身体を何度も打ちつけ、転がり落ちた。ひどい打撲とアイゼンが背中に突き刺さり、血まみれになった。

全身を走る激痛。何とか立ち上がったもの、下山はとうてい無理。まもなく日が暮れる。凍死は確実である。だが、ここで死ぬわけには行かない。

 

 

必死になって足を踏み出した。すると・・歩けるではないか。やがて痛みや恐怖心も消え去り、意識もはっきりしてきた。周囲の状況も敏感に察知できた。自分の技術をはるかに越える軽業で、幾多の危険を乗り越え、ついに下山を果たしたのだ。

ロブは言う。『無駄な動きは一切無かった。失敗はしようが無かった。落ちるなんて思いもしなかった』

 

これはどういうことなのか。いわゆる『火事場のバカ力』なのか。

仮にそうだとしても、この力は私達の意のままに出来ない。事実ロブ自身も後年、極限的な登山やマラソンに挑んでいるが、あのような体験は出来なかったと言っている。

彼によると、驚異的な生命力を発揮するには、何らかの『精神的な要素』が必要だと言う。ただ危機的状況に追い込まれただけではダメらしいのだ。

 

ロブは言う。

』何週間にもわたるクライミングの中で、私は自分自身に対する信仰を深めていった。転落事故に遭っても死なずに済んだのは、私が"偉大なる力"と結合していると言うメッセージであったのだ。・・・』

 

ロブの言う、偉大な力の体験。

Oさんの、概念が融合して自然な自分に目覚めた体験。

スケールは違いますが、同じ体験だと思うのです。

 

引用・・・『フランクルに学ぶ』