勘の良い方ならお分かりでしょう。健康に自信のあったOさんがなぜ呼吸困難に陥ってしまったのか? と言うことです。
そうです。働きすぎですよね。いくら社長だからと言って限度があります。読者の皆さんもそう思いますよね。
ではなぜ、分かったのでしょうか。
それは読者の皆さんがOさんと利害関係が無いからです。冷たい言い方をすれば、Oさんが死のうが生きようが、読者の皆様には関係ないことです。関係ないからその人の真実の姿が客観視出来るんです。
いぢばん客観視出来てないのが、当の本人なのかもしれません。
Oさんは取り付かれたように、森田療法の本を読み漁ります。本を読みさしたまま、寝てしまったことも良くありました。読み進めるうち、どうも自分の症状は心の持ちようから来ているかも知れないと思うようになりました。例会に出席するうち、合宿による森田の集中学習会が有ることを聞き、すぐさま申し込みました。、
それは南関東のとあるお寺で開かれました。そこでいろいろな方のお話しを聞きました。特に総括講師であられたT理事の話しはすばらしく、すべての内容が心の奥底にびんびん響いてくるような感動を覚えました。質問をたくさんしたかったのですが、あいにく時間が取れませんでした。
合宿終了後、T理事に自分の体験を書いたお手紙を差し上げました。ほぼ一週間後、T理事から心のこもった返事が届いたのであります。
そこには、こんな内容が記されておりました。
利己的で反省心の弱い人は治らない。
苦しんでいるのが、本当の自分である。元気な自分は偽りの自分と心得よ。
楽して治ろうと思うな。
自分のことよりも、他人のことを優先せよ。
ビクビクはらはらしながらでも、一生懸命しゃべる事はできる。
ちなみにT理事は、衆前恐怖だそうです。
森田の本によって自分の症状のからくりは理解できたものの、苦しい事実には変わりありません。それでも最低限の仕事は続けていましたが、それもかなりしんどい状態です。
正直言って、『もう。これ以上出来ない!』と思いました。このまま行ったら、間違いなく倒れてしまう。そんな予期不安が頭を占領してしまうのです。
T理事の手紙には、こうも記されておりました。
『倒れるところまでやる』
と言うのが原則である。ところが大方の人は『倒れそうなので、大事をとってやりませんでした』となる。けれど本当に倒れたわけではなくて、夕刻ごろ起きだしてテレビを見たり、自分のやりたいことをするのである。たいていの場合『仕事をしたくない』と言うのは、自分の心を満足させるために無意識が作り出した自作自演の心理劇なのである。
・・まず起きてトイレに行く。倒れずに出来たら、顔を洗ってみる。倒れずに出来たら、朝食をとってみる。食欲が無いなら食べずに次に進む。背広に着替える。倒れずに出来たら、持って行くものを確認する。倒れずに出来たら、玄関に行って靴をはく。倒れずに出来たら、扉を開けて外に一歩踏み出す。・・・
職場でも小刻みに目標を設定して、倒れないで出来たら、次に進むと言う風にしていく。倒れそうな気がしてならないが、実際は倒れないものである。
つまり、一つ一つの行動を『命がけ』でやると言うことなのです。言葉にすると重々しくなりますが、神経質でない人は、無意識にやっていることに過ぎないのです。神経質はとらわれが強いので、いちいち引っかかっているだけなんです。
Oさんにも思い当たることがありました。確かに症状が起きないように、恐る恐るやっているところがある。それは症状に合わせていることであり、まったく『命がけ』ではないのです。
『楽して治ろうと思うな』
『ビクビクハラハラでも、一生懸命しゃべることは出来る』
T理事のアドバイスがOさんの心の襞に突き刺さります。