昨日までに、森田的考え方に基づいた問題解決法を三つご紹介しました。三つだけでは良くわからないと言う方もおられると思うので、もう少しだけ続けて行きたいと思います。
でも、おおよその考え方は理解してもらえたと思うのです。
そうです、森田療法は症状そのもの、ストレスの原因そのものをどうにかしようとする治療法ではありません。最もどうにか出来ることはとっくらどうにかしているでしょうから、症状とかストレスとか言うものは、どうにもならないものをどうにかしようとするところに、生まれるものなのかもしれませんね。
症状の話しは少し置いといて、ここではストレスの話しに特化いたしましょう。もしストレスを感じる要因が私達の中に有るとしたら、私達の何を変えていけばいいのでしょうか。
たとえば普段車に乗っている人が、その車が故障して使えなくなってしまったらどうでしょうか。一大事ですよね。会社にもいけないかもしれません。大変なストレスです。
あるいは今、ほとんどの方がスマホやタブレットを持っています。家にはPCも有ることでしょう。もしそれらの機器が、まったく使えなくなってしまったらどうでしょうか。おそらくパニックになるんじゃないですか?
何も出来なくなってしまう人が続出するかもしれません。これも大変なストレスになります。
でも良く考えてください。私達の子供の頃は、車の所有者はごく一部の富裕層だけでしたし、スマホやタブレットなんてものは、影も形もありませんでした。それでもまったくストレスを感じないまま、日常生活が送れていたのです。今から考えれば、かなり不便な生活だったかもわかりませんが、それはそれで満足できていたのです。
時代が違う。
と言うことかもしれません。でもそれだけですか?
スマホや車が無くてストレスを感じている私達は、どうすればストレスから逃れられるのですか?
二つの案を提示します。皆さんならどちらの案を選択しますか?
① 考え方を変えれば良いのですか?
② 不便な生活に慣れれば良いのですか?
①について説明します。
昔の人は車やスマホが無くても、十分楽しく生活できていた。今の私達は便利なものに囲まれすぎている。だからそれらが使えなくなったとき、大騒ぎをするのである。だから最初からそれらに頼らない生活を心がけることである。車が無ければ公共交通機関が有る。経済的な問題が有るなら自転車と言う手も有る。かえって体力増強になるかもしれない。スマホが無くても公衆電話やイエデンがある。情報収集は図書館やメディアを活用すればよい。
いかがですか?
上記の説明で、考え方は変わりそうですか?
言っていることは正論です。ですから納得はしていただけるでしょう。
しかし理解できたことと、ストレスと無縁になる事は違います。
では②の選択はいかがでしょう。
実際に、車やスマホの無い生活をしてみるのです。頭で思い描くだけよりも、実際に体験した方が、身体で覚られるのです。
個人差は有るでしょうが、車なし生活、スマホなし生活を半年くらい続ければ、慣れてきますかね?
いろいろな感想は出てくると思いますが、『お、車やスマホが無くても、何とか生活できそうだわい』と言うほのかな希望が見え始める頃かもしれません。一年以上生活すればも完全に慣れてくることでしょう。
一応、めでたしめでたし、です。
でも、考え方を変えたり、あるいは不便な生活に慣れることで、完全にストレスから逃れられるものなんでしょうか。
答えはノーです。
考え方を変えても、不便な生活に慣れても、
私達はあくまでも2018年に生きている現代人です。
どこかで我慢が残ります。それがストレスになるのです。
認知行動療法は、セッションをしながら少しずつ考え方(認知)を修正していきます。そして最終的には本人が恐れているものに強制的に"慣れ"させていきます。
考え方を修正し、恐怖に慣れることで、だいぶストレスは和らぎます。しかし心のどこかで無理をしています。我慢をしているのです。それが知らず知らずストレスになるのです。認知行動療法の欠点とは、まさにここなんです。
考え方を変えてもダメ。
慣れる事でストレスを軽減しようとしてもダメ。
じゃあ、どうすればよいのでしょうか。
続きは次回で。