『人は悲しいから、泣くのではない、泣くから悲しいのだ。嬉しいから笑うのではない。笑うから嬉しくなるのだ』
と言うようなことを言った哲学者がいたそうな。確かに一面の真理かもしれない。
『笑いヨガ』の体験教室に参加した。『ヨガ』と銘打ってはいるが、難しいポーズをとるわけでもなく、唯、ひたすら笑うのである。その際おかしい感情のあるなしは関係ない。おかしくなくても、嬉しくなくても、笑うのである。わっはっは・・とやるのに抵抗有る人は、ニコっとするだけでも効果が有るそうだ。
本気で『わっはっは』とやると、なんだか知らないが嬉しい気持ちになってくる。『笑うから嬉しくなる』と言う哲学者の言葉に信憑性が高まってくる。不思議な事である。顔の表情筋と感情は密接な関係が有るのかもしれない。
森田では『外相整えば、内相おのずから熟す』と言う言葉が有る。
一般的な解釈としては、外面をきちんとすれば、気持ちや感情もそれに合わせてきちんとしてくる。と言うあたりであろう。
休日にパジャマ姿でテレビを眺めていると、リラックスして気持ちになる。反対にスーツを着てネクタイを締めれば、自然と仕事モードに切り替わる。パジャマ姿で仕事モードになるのは難しい。
ところで、神経質者は取り越し苦労が多く、将来に対して悲観的な見方をしやすく、それに比例して不安を持ちやすい。
取り越し苦労をするのは、将来に安心を得たいためである。今のうちにあれこれ心配して先手を売っておけば、将来安心していられる。と言った算段なのだろうが、現実はそうは行かない。
仮に今から一年後を心配して、あれこれ取り越し苦労の末、何とか対処できたとする。では一年後、安心して暮らしているだろうか。
否である。
そのまた一年後を心配して、あれこれ取り越し苦労をしているのである。かくして永久に安心は手に入らない。
まさに、『不幸を恐れて不幸になる』パターンである。
心配しながら、取り越し苦労をしながらでも、明るく前向きな生活を心がけてみたらどうだろうか。最初はまったくその気にならないかもしれない。だけれど『笑いヨガ』のように、形だけでも明るく振舞っているうち、それが本当のことになるかもしれないのである。
所詮私達は不安の渦から自由になる事は出来ない。それに押しつぶされる前に、不安と共存し得るスキルを実につけた方がよさそうである。