目を疑った。
いつもは100前後しかないアクセス数が、昨日はなんと950にもなっていた。おそらく一桁間違ったのだろう。それとも何かあったのだろうか。気になって調べてみたが、特に何もないようである。
特別面白い記事を書いたわけではない。いつもと同じように、自分の書きたい記事を書いたまでのことである。何か特別な事があったとしたら、読者側での可能性が高い。
まぁいずれにせよ、アクセス数が急に伸びたからと言って、特別何も無い。嬉しいことは嬉しいが、唯それだけである。
自分の努力以外のところで、思わぬ良い結果が出ることが在る。今以上にお調子者だった私は、そういう偶然の結果まで、自分の実力だと勘違いしていた。勘違いだけしていればよかったものを、よせばいいのに、ますます良い結果を追い求めようとしてしまったのである。
結果は悲惨なものであった。
このような無駄な努力を、『スケベ心』と言う。良い結果だけを追い求め、それが達成できた自分を理想化し、また、それに向かって努力している自分に酔いしれてしまうのである。
本人はやる気満々で充実しているかもしれないが、具体的な努力をしていないので、たいてい途中で挫折する。
ブログに例えれば、アクセス数をもっと伸ばすために、読者受けする記事を書くとか、検索しやすいキーワードをふんだんに使うとか、することである。こういうことをすれば、当然中身は二の次になる。話し方でもテクニックやスキルは重要では在るが、やはり中身である。中身の在る話しをわかりやすく伝えられるのが、本当の話し上手だと思う。
ここで勘違いして欲しくないのは、良い結果が出たら、素直に喜んでいいと言うことだ。誰も喜んではいけないなどとは言っていない。良くない結果だったら、素直に悲しめばよい。
唯、それだけのことである。良い結果が出たからどうしよう、悪い結果が出たからどうしよう、と考え始めるところに『スケベ心』の落とし穴が在る。
森田先生は囲碁将棋が好きで、良く患者やスタッフと対局していた。それほど上手ではなく、勝負は五分五分であったそうだ。
先生は、自分が勝てれば飛び上がるほど喜び、負ければ地団駄を踏んで悔しがった。だがその割には、今まで何勝何敗であった。とか、次回は何勝を目指そう。なんてことは考えなかったそうだ。今、ここで展開している勝負になりきることが大切なのであって、将来の理想的な自分などどうでもいいことなのである。
私も、今回の伸びは皆さんのおかげであり、喜ばしく思う。しかしこの状態を維持しようとは思わない。おそらく明日以降も、自分の書きたいことを、淡々と書いていくだけである。私のすることは、ただそれだけなのである。