森田は科学!? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

今日の色紙は、ずばり『事実唯真』であります。素直に解釈すると『事実だけが真実』と言うことだと思いますが、森田先生の直弟子で在る高良先生は即座に『あるがままと言うことだよ』と答えていたそうです。

 

事実と言うものは、憶測したり、推測などによって明らかになるものではなく、実際に見たり、聞いたり、触れたりして明らかになるものだと思います。これは極めて科学的な態度と言えるのではないでしょうか。

 

 

在るエリートサラリーマンが課長に昇進しました。彼は営業成績をさらに伸ばしたいと考える一方で、和気藹々とした職場の雰囲気を作りたいと考えていました。他の職場は結果を出すために部下をこき使ったり、部下は部下で上司の悪口ばかり言っていました。これではいけない。和やかな雰囲気にすれば、みんなは自発的に働き、結果として成績も伸びるだろうと考えていたのです。

 

しかし、現実はそれほど甘くありませんでした。勿論真面目に働くものもいましたが、何かにつけて反抗し、怠けてばかりの部下もいました。彼は怠け者の部下を激しく叱責したい衝動に駆られました。部下の顔を見るのもイヤになりました。これではいけない。部下は平等に愛するべきであると、自分に言い聞かしても、もはやどうにもなりませんでした。彼は精神科を受診しました。

 

彼の間違いはどこにあったのでしょう。私達は付き合う人すべてを平等に愛することは出来ません。当然嫌ったり憎んだりする人もいます。是は仕方の無いことです。蛇が嫌いな人は多いですが、なにも無理して好きになる必要は無いのです。それが事実なんですから。嫌いなら嫌いでいいのです。それだけのことなんですから。

 

では、喜怒哀楽を素直に出せば、良いのでしょうか。

それも違います。子供ならそれも許されるでしょうが、私達は大人です。大人であれば自分の感情はとりあえず横に置き、一応表面だけでもにこやかに穏やかに接するべきでありましょう。部下に注意をするときも、静かに諭すべきでしょう。

 

彼の過ちの原因はわかりましたね。そうです。いやなものはいや。嫌いな人は嫌いと言う、きわめて当たり前の事実に従わず、誰でも等しく愛するべきと言う、自分の中の理想的なスローガンのみで、進めていこうとしたことです。嫌いなままでいいのです。ですがそれをストレートに表現するのは子供のやることです。

 

森田先生は『事実唯真』で、こんな説明をしています。

『泥棒すれば監獄に行く。食べ過ぎればおなかを壊す。どうにも仕方が無い。仕方が無いから往生するだけの話しである。是が事実に従うことである。泥棒して捕まらないようにしよう。と考えるから強迫観念になるのである。』

 

 

たとえば対人緊張にとらわれる人は、心の奥で誰からも尊敬されたいとか、立派な人と思われたいと言う願いを持っています。けれどもこの欲求を実現するためには、各方面で相当の努力を積まないと難しいと思われます。

 

ところがその努力をしようとせず、ただ『立派な人に思われたい』と言うことだけに固着し、数ある中で最も大きいと思われる欠点に注意を集中させるのです。そう、『これさえなければ』と言う思いです。

たとえば『顔が赤くならなければ・・・』とか『声が震えなければ・・・』私は立派な人として認められるのだがなぁ・・・と、虫の良い事を考えてしまうのです。これが『泥棒して捕まらないように』と言う考え方なんです。

 

だってそうでしょう。何の努力もしない。したがって何の実力も無い。何の中身も無い。なのに外面だけ『立派な人に見られたい』だとぉ!

虫が良すぎると思いませんか?

でも、これって多くの人が思い当たることなのかもしれません。

感情をごまかして強がってみたり、実力も無いのに在る振りをしたり、・・・こんなことを続けていますと、次第にリラックスできなくなり、やがて人に会うのが恐ろしくなってきます。対人恐怖の一丁あがり! です。

 

森田先生は、まず客観的な事実に従いなさい。

それから、あなた自身の感情の事実にも従いなさい。

それが『事実唯真』の生き方だよ。と、おっしゃっておられるのです。

 

参考・・・『森田が語る森田療法』