叶わ"せ"ない夢? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

新年明けましておめでとうございます。

今年も"神経質逍遥"をよろしくお願いいたします。

 

はい、新年の挨拶が終わったところで、本題に入りましょう。

新年と言うことで、皆様も色々な目標を立てられたかと思います。その目標を立てた理由はさまざまあると思いますが、やはりこれをしたい、あれが欲しい、こんな風になりたい・・・といった夢を叶えることが、一番の理由ではないですかね。

 

夢をかなえるために目標を立て、それに向かって日々努力を続けていく。まさに理想的な人生のあり方ではないですか? 夢に向かって努力する姿は何ものよりも美しい。といった方もおられましたね。

私も同感です。でも少しだけ突っ込ませてください。それが今日のテーマになるものですから。

 

 

夢を持つのは、すばらしい人間の特権だと思います。逆に夢を持てないと、人間生きていく事さえ出来ないと言われていますからね。

でも、夢って必ず叶えなければならないものなんですか?

夢のままで放っておいてはいけないものなんですか?

 

目標は、これは達成すべきものですよね。逆に言うと目標は、達成することを前提に立てられるものです。目標を立てたけれど、何もやらない、何も具体的に動かない。と言うのであれば目標は絵に描いた餅になってしまいます。

でも、夢と目標は違います。

 

私の知人は、ギターが大好きです。アコースティック、エレキ等、数台持っています。けれど仕事が忙しくて、それらに触れることさえ出来ません。でも仕事をしながらそれらにチラッと目を走らせるだけで、とても心が和むのだそうです。

 

それでも彼には、いつかライブであれをめちゃめちゃ上手に弾いてやるぜ! と言う夢があるそうです。でも実際は練習はおろか触る暇もない。かくして彼の夢は、果てしなく妄想に近いものになっています。でも思い描くだけで幸せな気分になれれば、それはそれで良いのではないかと思うんです。

 

つまり、いつかは人前で披露できるくらいの腕前になる事を、夢見ているのですが、なんら具体的な努力を伴っていません。だから当然これは『叶わぬ夢』であります。

でも、それで気分だけでも幸せになれるのならば、『叶わぬ夢』でも十分存在価値があるように思うのです。

 

ここで、昨日の話しにつながります。

他人をうらやましい、またはねたましいと思う気持ちを何とかできないだろうか。ということで、3つめの考え方です。

 

恋人がいないのは惨めだ。

だから早く恋人をゲットしたい!

と言うのは偽らざるあなたの気持ちです。言い換えれば、これがあなたの『平常心』です。だからそのまま受け入れれば済む事なんですよね。

"恋人を作りたい"と言うのは夢です。具体的に目標を立てて動く覚悟がないのなら、『恋人が欲しい』と言う気持ちをそのまま抱え込んで生きていくことです。『叶わぬ夢』も『夢』のうち。きっとあなたの心を幸せにしてくれると思いますよ。状況が変わってくれば、『叶う夢』に転換できるかもしれません。

 

 

一番良くないのは、他人を妬む気持ちがイヤだから、早く恋人を作ってしまおうと焦ることです。たとえそれでうまく恋人が出来たとしても、幸せな結末にはなれないと思うんですよね。

要するにそれは、自分が今感じている不快な感情から早く逃げ出そうと、しているだけなんです。

 

本来デートをしたりお付き合いをするのは、相手をもっと知りたい、もっと深い仲になりたい。といった欲求に沿っての行動でしょう。けれど他人をうらやむ惨めな自分から逃げ出したいだけの人は、上記の欲求が無いわけですから、本当の意味で人を愛することが出来ないのです。

 

ギターの彼も言っています。夢って二つあると思うんです。ひとつはしっかり努力していく『本気の夢』、もうひとつは『こうなればいいなぁ・・』と、妄想するだけの『ゆる~い夢』。

この両方をたくさん持っているほど、人生はより豊かになるような気がいたします。

皆さんには、どんな夢がありますか?

 

参考・・・『小さな幸せ探検隊』森沢明夫氏より