欲望の弱い人? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

言うまでもなく森田療法は、患者の持つ強い『生きる欲望』を重要視しています。症状に苦しむのは、『スッキリしたい』、『より良く生きたい』と言う生の欲望の反面であり、欲望が強いほど、苦しみもまた深くなると言う理解ですね。ですが最近、この『生きる欲望』が希薄、あるいはきわめて弱い人たちが増えているように思うのです。こういう人たちをどのように考えればよいのでしょうか。

 

神経質者はもともと『生きる欲望』が強いことが、大きな特徴とされてきました。ところが近年、その条件に会わない神経質者が、増えているように思うのです。こういう人たちを森田不適応として、神経質から除外するべきなのでしょうか。

 

 

詳しい症例研究は専門家にお任せするとして、自助グループとして考えるならば、生きる欲望が希薄だとしても、一概に森田の対照外とするのは、いささか早計だと思います。ただ悩み方や悩みの質が変化してきて、森田の適応対象が反対に広がってきたと考えても良いのではないでしょうか。

 

勿論すべての精神疾患に森田が利くとは言えませんけど、たとえば慢性化している『うつ』の方なども対象になりますし、あるいは自分が評価されなかったりすると、傷ついて会社にいけなくなるといった、脆弱的、回避的なパーソナリティの持ち主も対象になったりするのです。

 

こういった人たちの場合、恐怖心やおびえの気持ちが前面に現れている場合が多いので、森田で言う『生きる欲望』は、あまり感じられません。だから不適応と烙印を押すのではなく、社会生活が行き詰ってどうにもならない後姿に、本当はちゃんと評価されたい気持ちや、自分はダメ人間と言う劣等感が隠れていることが多いので、それを自覚させてあげることですね。

 

こういう人はしばしば『抑うつ状態』に陥り、なおさら『生きる欲望』がしぼんでしまってたりするのですが、森田を導入する時点で、たとえば『本当はどんな自分になりたいのか』とか『本当は何をしたいのか』といった問いかけを繰り返しているうちに、欲求が次第に熟成されてくる場合があるのです。そうなれば十分森田でやっていけると思うんですね。

 

もうひとつ、困ったケースを考えてみることにしましょう。

まだ自分が悩んでクリニックやグループにつながってくるのは、まだ見込みがあるんです。自分で何とか治したい、早く苦しみから逃れたいと言う欲求はあるわけですからね。

一番始末に終えないのは、当の本人はまったく悩んでいないんだけど、周囲の人間が対応に苦慮しているケースです。

 

 

皆さんの職場にもいるんじゃないですか?

まさかつかまえて強制的に受診させるわけには行きませんものね。こういう場合は、本人が周りとの軋轢などでどうにも立ち行かなくなってきたと実感し、『これではイカン、何とかせねば』と考えてくれるまで、ひたすら待つしかないんですね。

 

カウンセリングの言葉で、

『問題解決の糸口は、困っている本人の中にしか無い』

と言うのがあります。

『早く気づいて受診してくれないかなぁ、そうすれば俺たち楽になるのになぁ』と言う考えでは他力本願です。周りに期待するだけでは、解決するかもしれないし、永遠にしないかもしれません。いずれにせよ、ストレスだけがたまります。

 

だから他人を当てにするのではなく、自分が変われば良いのです。

『問題解決の糸口は、困っている本人の中にしかない』と言うのは、そういう意味です。

ですからその問題ある人を変えようと、森田を使うのではなくて、悩んでいるあなた自身が、対人関係などを考える上で、森田を使っていけばよいのです。回りが変わっていけば、"困ったチャン"の方が、居づらくなるのではないでしょうか。