誰でも褒められれば嬉しいはずです。これは神経質症の人たちでも同じです。ところが神経質症の人の中には、褒められても嬉しくなさそうな態度を示すことがままあります。一般にこういう人は『すね者』とか『天邪鬼』とか呼ばれますが、単なるへそ曲がりのために喜ばないのでしょうか。
例えばチームで仕事を遂行した場合、自分がリーダーシップをとって中心となって仕事を進めたにもかかわらず、他のたいした仕事をしていないメンバーたちと同等の褒め言葉しか掛けられなかった場合。これは素直に喜べませんね。「本来なら自分ひとりだけが褒められるべき。なのにほかのメンバーも褒められたことから差し引きゼロ。つまり実質的には自分は褒められていないことになる。」
・・・と。こんな屁理屈を並べて、せっかくの褒め言葉を踏みにじんでしまうのです。
さっきと逆に、自分の中では仕事は失敗であったと思っている場合。なのに「良くやってくれた!」なんて上司から褒められた場合、そうとう複雑な心理となりますね。もちろん上司は、部下が失敗したと思っているなんてつゆほども知りません。
部下としては、明らかに失敗なのに上司がそれを指摘しないのは、逆に傷口を広げられたような屈辱感を感じてしまうかもしれません。あるいはちゃんと部下のアウトプットを見ていない。つまり上司にとって自分はどうでもいい存在なんだ、と思わせられているかもしれません。
これでは褒めた上司を逆恨みすることにもなりかねませんね。
どちらの例も、心の奥底では褒められたいと思っているようです。なのに、なんとなく照れくさいのでしょうか。それとも自分は褒められるに価する人間ではないと、本気で思っているのでしょうか。いずれにせよ不足しているのは『素直』な心です。自分の中の『褒められたい』とか『認められたい』という欲求に正直であるとき、わざわざ自分を『悲劇のヒーロー』に仕立て上げる必要はなくなります。
といっても長年の『へそ曲がり』は一朝一夕には治りません。
ですから第一段階として、人に褒められたら必ず『ありがとうございます』と、声を出して返しましょう。なるべく大きな声が良いですが、それも難しかったら、心の中でつぶやいてもよろしいでしょう。
声を出すのも立派な『行動』の一つです。『行動』すれば感情も動きます。
例え嬉しくなくても『ありがとう』と言ってみること。
嬉しい気持ちを表現することで、嬉しい気持ちが起きてくるのです。
誰かが言いましたね。『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ』これと同じです。
せっかく褒めてくださっているのですから、自分の都合で相手の好意を踏みにじるのは失礼ですし、第一もったいないですよね。
もっと『褒められ上手』になりましょう。『褒め甲斐』のある人に褒め言葉は集まってきますよ。