『自罰』と『他罰』 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

私が若い頃、神経質者の会の先輩から、こんなアドバイスを受けたことがあります。

『神経質は、うつ病患者を見習え!』

・・・意味わかりますか? それは『うつ』の患者の落ち込みは、その原因を自分の至らなさに求めるが、神経質の場合は、それを他人のせいにしたり症状のせいにしたりするから・・・なのだそうです。

つまり『うつ』の患者は『自罰』傾向があり、神経質は『他罰』傾向があるということなんですね。

もちろん絶対的なものではありませんが、確かに神経質者にはこのような面も見られることは間違いなさそうです。

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客観的に見れば『自罰』も『他罰』も同じような心の機制とも取れるのですが、なんとなく『自罰』的なほうが少しは『高尚』のように感じるのは、あたかも『責任を自分で引き受ける』様に見えるところではないでしょうか。

それに引き換え『他罰』はいけません。事がうまくいかないとき落ち込んだときに、その原因をすべて他人のせいにするようなイメージがあります。自分の行動は自分で責任を取れるのが一人前の大人だとすれば、これ

は大人気ない態度といわさぜるを得ません。


神経質者の多くは、自分が十分な活動が出来ないときや、能率の上がらないことを自分の『症状』と思われるもののせいにしています。頭が重いから、体がだるいから、眠れないから、胃がもたれるから、心臓がどきどきするから、あるいは対人恐怖があるから、いつも不安で仕方が無いから、雑音や雑念が気になるからなどといって、これらの要因のために十分な活動が出来ない、能率が上がらないなどと思い込んでいる節があるのです。


そして、このような症状さえなければ、なんでも思い通りやれると思い込んでいるから、症状を持ったままでも何でもやれるということを体験しようとしないのです。ですからいつまでたっても自分の症状というものを突破することが出来ないのですね。つまり自分のやるべきことから逃げる口実として、症状を持ち出しているだけであり、これは病気の中に『逃避』しているだけなんです。


神経質症の人の中にも、『自罰』傾向の強い人が居ます。都合の悪いことはすべて自分が至らないためであるとして、劣等感、自己嫌悪感に落ち込む人たちです。試験に落ちれば「どうして自分はこんなに頭が悪いのだろう」「どうして自分は人のように楽に勉強を続けることが出来ないのだろう」「意志薄弱な自分は何をやってもダメなのだ」「自分のようなつまらない人間はいっそのことこの世から消えたほうが良いのだ」等と嘆いています。

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もし本当に自分が劣等で、何とか人並みになりたいと思っているのであれば、人一倍努力するほかは無いと覚悟できるはずです。それが本当に責任を引き受けられる大人の態度でありまして、ただ俺はダメだダメだと考えて引っ込み思案になってしまうのは、逃避以外の何者でもないでしょう。

もうお分かりですね。神経質における『自罰』『他罰』というものは、元は同じ『逃避』という心のからくりでつながっているものなのです。


どんなことでもその責任を自分以外のものに帰するのは、自省心不足の幼弱的な人間のなせる業でありますが、事有るごとに自分を責めて劣等感に悩むばかりであっても、内向的に偏りすぎた不調和の状態といえるのです。自罰他罰に偏らず、自分を良く省み、客観的に責任の所在を明らかにして、もし自分に足りないところがあれば努力して改善していく態度の人こそが、一人前の自主的な大人といえるのではないでしょうか。


参考・・・『生きる知恵』白揚社